染錦 菖蒲に蝶文の、古伊万里の大皿を手に入れました。
一尺二寸の大皿で、サイズは、口径×高さ×底径が、約36.3cm×約6.3cm×約20.3cmです。
古伊万里にしては、珍しい図柄で、しかも、珍しい銘印が入っているものですが、時代は、「江戸時代」と
されていますが、高台の雰囲気から、江戸でも「幕末」のものではないか?と思っています。
高台の中に、見込みが垂れることを避けるためのハリ支え跡(目跡)がありますが、ちょっと乱雑な感じが
します。良いものは、5つきれいに、並んでいますので、少し甘いところがあるようです。(目跡は、
「焼き物用語(キズ・直し編)
」参照)
染錦手の絵柄もさることながら、銘印が入っているのも、ちょっと気にもなりますね。
九谷焼には、「福」の印のあるものは、結構ありますが、これは、何でしょうか?「富」、「隆」のように見えますが、
この皿を持っていると、「富が隆る」という縁起物かもしれませんね。
ちょっと、裏面の装飾が寂しい感じがしますが、結構、見栄えのする絵皿ですから、目立つところに飾って
おこうと思っています。
★ 古伊万里とは? ★
古伊万里とは、伊万里焼の中でも、江戸時代に焼かれた伊万里港から積み出された焼き物の総称です。
伊万里焼といっても、実は伊万里で焼かれたわけではなく、積み出し港であった伊万里の名がついた
焼き物です。主に有田焼を指しますが、三川内焼、波佐見焼なども含みます。
波佐見焼は江戸庶民の日用雑器を大量生産したこともあり(これを「
くらわんか碗」ともいう)、これも
波佐見焼という場合もあれば、
古伊万里ということもあります。
(「
波佐見焼の古時計香合」参照)
江戸前期には、明が、鎖国政策を取ったことも影響して、多くの伊万里焼(有田焼、波佐見焼、三川内焼)が
東南アジアを経て、ヨーロッパへも輸出されています。バタビア(ジャカルタ)のオランダ東インド会社向けの
VOCマーク
入りの食器も有名です。
その一部は、里帰り伊万里
となって、日本に戻ってきているものもありますが、当時のものは、傑作が多いし、
西洋アンティークのマイセン窯
にも多大な影響を与えた古伊万里のパワーを感じます。
ただ、江戸中期以降のものは、主に、国内用で、少し、甘いものが多いようです。
この大皿も、江戸後期の国内向けのものではないか?と思っています。
尚、柿右衛門様式と、鍋島様式は、同じ時期に作られていても、古伊万里とは、別の扱いをしていることが
多いようです。
(記 : 2009年12月5日)