旅するところ、焼き物・骨董あり!                                                                       <<<焼き物・骨董情報サイト>>>

トップへ  当サイトでは、筆者が、世界中を旅したところで集めた焼き物・骨董品を、
エピソードと共に、その起源や、特徴を、ご紹介しています。意外な場所に、
意外な、お宝があるものです。画像と共に、うんちくも、お楽しみください。 

東洋陶器製の猪口

東洋陶器製の猪口(ちょこ)で、昭和の時代のものです。











大きさは、口径4.5cm 高さ4.5cm程で、素朴な花絵の猪口で、恐らく、花柄は手描きで、量産品だと思いますが、状態は良好です。

あの衛生機器のTOTOが、食器を作っていたことを知る人は、今では、少ないのではないでしょうか?

かくいう私も知りませんでしたので、珍品ではないかな?と思い、購入しました。

当時は、和食器は、関東では瀬戸焼(含美濃焼)、関西では有田焼(含波佐見焼)のシェアが圧倒的だった時代ですので、東洋陶器が、和食器にまで進出するには、工場での量産化ということがキーワードになっていたんでしょうね。(現在は、美濃焼が圧倒的なシェア(約60%)を持っています。)

また、白磁の原料は、朝鮮半島からのカオリンや、熊本県からの天草陶石を使用したため、小倉が産地に近いというメリットを生かしたようですね。

この猪口の白は、「冷たい白」といっていいような感じで、人の温かみを感じない、工業化された白という印象で、ドイツのマイセン窯を代表する白磁に似ています。(「マイセンと柿右衛門」参照)

私の猪口は、大量生産、大量消費の時代の産物ですので、たくさん作られた割に、数があまり残っていないものでもありますので、貴重な昭和の産物 として、コレクションに加えたいと思っています。

東洋陶器(TOTO)は、日本陶器合名会社(現:ノリタケカンパニーリミテド)の製陶研究所が母体となり、福岡県北九州市小倉に、1917年に東洋陶器株式会社として設立されました。

当初は、市場の小さな衛生陶器だけでは経営が困難なため、輸出用の食器などの製造も行なっていましたが、その後、1926年に硬質磁器製の和食器を製造することに成功するなど、国内市場の売上を拡大していっています。

1962年、商品部門の集約のため、それまで商品ごとに分別されていたロゴを、食器用と同じ、「Toyotoki」ロゴに統一しています。

   統一されたロゴ

1969年、住宅の近代化などにより、“本業”の衛生陶器・水栓等で十分に稼げるようになったことで、食器生産を終了し、翌1970年に、食器事業から完全に撤退し、東陶機器株式会社へ商号を変更、現在の「TOTO」ロゴの使用を開始しています。その後、2007年に、現在の、TOTO株式会社に商号を変更しています。

こういった経緯から、TOTOは、1926年(大正15年)から、1970年(昭和45年)まで、和食器も、「Toyotoki」のロゴで製造していました。ただ、食器の中には、下のようなロゴのものも見られますので、私の猪口は、衛生機器を含めて、ロゴを統一した、1962年(昭和37年)〜1969年(昭和44年)に製造されたものと思われますので、50年ほど前に作られたものということになりますね。

 戦前のロゴ

 同じ筆記体ではあるが、統一ロゴとは違ったロゴ

技術的には、日本陶器(現:ノリタケ)の指導を受けていますので、日本陶器の方が、上だったのだと思いますが、衛生機器で喰えるようになるまで、飯を喰うために製造していたという、「苦難の歴史の産物」ということになりますね。

東洋陶器製の食器は、皿やコーヒーカップのような洋食器は、多く残っていますが、和食器は、少ないようですので、貴重な歴史的資料 として、大切にしたいと思っています。

尚、東洋陶器の生みの親である日本陶器(現:ノリタケ・カンパニー)の食器や、日本の洋食器の歴史に関しては、「オールドノリタケの絵皿」をご参照ください。


                   オールドノリタケの絵皿
                                                (記 : 2013年7月16日)

Copyright (C) ともさんの焼き物・骨董紀行  All Rights Reserved 
















inserted by FC2 system