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エピソードと共に、その起源や、特徴を、ご紹介しています。意外な場所に、
意外な、お宝があるものです。画像と共に、うんちくも、お楽しみください。 

足立美術館と布志名焼

日本一、日本人が、その場所を言い当てることが出来ない県が、島根県だそうです。

そこに、日本一の庭園があることは、それ以上に知られていないことなのでは、ないでしょうか?

足立美術館

米国の庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」(JOJG)が「2007年日本庭園ランキング」を発表し、足立美術館の庭園を5年連続で「庭園日本一」に選びました。

しかも、桂離宮を押さえての日本一ですので、びっくりです。

《ランキング上位5位》
1位 足立美術館(島根県)
2位 桂離宮(京都府)
3位 山本亭(東京都)
4位 栗林公園(香川県)
5位 無鄰菴(京都府)

実は、先週末、足立美術館と、いくつかの焼き物の窯を、訪ねて、島根県へ出かけました。

足立美術館は、2回目でしたが、前回は、もう、25年も前のことで、横山大観や、藤岡鉄斎等の、日本画が
目的だったのですが、今回は、庭園と、北大路魯山人の焼き物が目当てでした。

入場料は、大人1人2200円と、高めですが、樹木が大きくなると、入れ替えをしたりしているそうで、庭園の
維持管理もお金が掛かるのでしょうから、仕方がないことか?と・・・・・

足立美術館庭園

その庭園は、自然の中国山地を遠景に使って、実に、うまく作られています。四季折々の自然の姿が、素晴らしい庭園です。

場所は、これまた、わかりにくい、安来市にあり、島根県だったっけ?鳥取県だったっけ?と悩むようなところにあります。(笑)

不思議なところに、不思議なもの有り」ということで、興味のある方は、一度、足を運ばれては?と思います。(足立美術館ホームページ参照)

また、あまり知られてはいませんが、島根県には、幾つかの焼き物の窯があります。今回、湯町窯船木窯出西窯を訪れました。湯町窯では、独特の黄釉の美しい布志名焼徳利と、小皿を買いました。

湯の町窯で買った焼き物

                                                   湯町窯 福間秀士(秀は、王篇に秀)作








窯元全景


ギャラリー


福間秀士(秀は、王篇に秀)さん

★ 布志名焼とは ★

ここで、布志名焼(ふじなやき)について、まとめておきます。

布志名焼は、島根県玉湯町(たまゆまち)布志名地区で焼かれている陶器で、1750(寛延3)年に船木与次兵衛村政(ふなきよじべえむらまさ) が、布志名に窯を開いたことが布志名焼のはじまりとされています。

その後、1780(安永9)年、土屋善四郎芳方(つちやぜんしろうよしかた)(現雲善窯)が、大名茶人として有名な、松江藩主松平治郷(不昧公)の命により、「御焼物御用教方」として、楽山焼から布志名に移り、最初の御用窯になりました。

江戸時代には、のちに御用窯となった永原窯を合わせて2つの御用窯があり、船木系の民間諸窯が共存しました。

明治時代になると、御用窯も藩の庇護がなくなり、民間の窯として独り立ちする必要に迫られましたが、黄釉の地に色絵を施したものや、出雲青地と呼ばれる青釉の日用雑器を焼き、一時は海外への輸出も盛んに行われるほど、隆盛を極めました。

明治末期から大正初期に最盛期を迎え、17の窯元がひしめいていましたが、昭和初期にいたり、世界的不況のあおりを受け、大正万古焼など地域間にも競争にも破れ、廃窯する窯元も相次ぎました。

大正末年、柳宗悦(やなぎむねよし)らが、「実用品の中にこそ本当の美がある」という民芸運動をはじめていました。布志名焼の窯元であった舩木道忠福間貴士らは、1931(昭和6)年来県した柳宗悦らの話を聞く機会を持ちことが出来、浜田庄司(はまだしょうじ)、河井寛次郎(かわいかんじろう)、バーナード・リーチらの指導も受け、布志名焼再生の道を見つけました。それまで一世を風靡した黄釉は、優美ではありましたが、実用的ではなかったため、次第に姿を消していきました。

民窯として、復活、再興を遂げた布志名焼ですが、リーチの影響を強く受けているため、英国のガレナ釉に似た黄釉飴釉などが用いられ、化粧土を使った、英国式のスリップウェアという手法を用いたものも焼かれています。

現在は、4つの窯(雲善窯舩木窯湯町窯雲寅窯)が稼働し、それぞれ特徴ある作品を作っています。
  
                                              (記 : 2008年4月19日)

追記 1:

時代のありそうな、島根県の布志名焼(ふじなやき)二彩ぐい呑みです。

布志名焼













大きさは、直径約6cm、高さ約3.5cmで、瓢形印の中に「雲邨」と、高台脇に「出雲」のような陶印があります。褐釉と、緑釉の二彩で、単純な文様を描いていて、それが、アクセントになっています。

時代もありそうで、恐らく、明治中期〜大正初期のものではないか?と思います。

布志名焼の雲善窯は、初代土屋善四郎が、1780年に開窯し、二代善四郎は、不昧公好みの名品を、数々焼き出し、「雲善」の号名と、瓢形印を拝領しています。また、三代善六は色絵に秀で、布志名色絵の先駈けとなりました。

こうした経緯から、このぐい呑みは、瓢形印を使っていますが、「雲善」ではなく、「雲邨」となっていますので、土屋家の分家の窯の作品なのでは?と思っています。

明治末期〜大正初期には、布志名には、17もの窯があったようですので、可能性は高いと思っています。

いずれにしても、手捻りで作られた趣のある作品で、とても気に入っていますので、大切にしたいと思っています。

尚、雲善窯の現陶主の土屋幹雄さんは、九代書四郎として、240年余の歴史を守り続けています。

                                           (追記 : 2012年9月19日)

追記 2:

窯元を訪れたのですが、お品を買わなかった出西窯(しゅっさいかま)についてまとめておきます。

出西窯は、島根県簸川郡斐川町出西にある窯元です。

 窯元展示室

袖師や丹波、益子、唐津などで修行を積んだ地元出身の5人の青年によって、1947年に開かれました。柳宗悦バーナード・リーチ河井寛次郎といった面々の指導を受け、モダンな作風で独特の世界を切り開きました。

出西とは出雲の西という意味で、窯元は出西窯一軒だけですが、窯主を持たない共同作業場となっており、土捏ね、轆轤回し、焼きなどの工程一つ一つが共同作業となっているのが特徴となっています。

安価で飽きの来ない、丈夫な焼き物が共通理念であり、大衆向けの民陶として知られますが、粘土から釉薬、薪に至るまで原料は全て島根県産で通すなど、こだわりも見られます。

私が、何も買わなかった理由の1つが、共同製作ということで、作品のすべてに窯印がなかったことが挙げられます。共同製作といえども、「出西」くらいの窯印があってもいいのでは?と思った次第です。作られているものも、多種多様でしたので、窯印がないと、どこの窯のものか、わかり辛いですよね。

工房のそばにおいてあった荒土の粘土を記念に持って帰りましたが、折角、窯元を訪れたので、1つくらいは、買って帰ってもよかったかな?と後悔しています。(笑)


            工房の近くに寝かせてあった陶土→




                                           (追記 : 2010年9月18日)
追記 3:

出西窯刷毛目徳利を入手しました。「出西窯の刷毛目徳利」をご参照ください。



                                           (追記 : 2012年7月10日)
追記 4:

出西窯作、エッグベーカーを手に入れました。「出西窯のエッグベーカー」を参照ください。



                                            (追記 : 2014年12月9日)

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