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吉備焼のぐい呑み

2009年12月27日に、岡山県笠岡市茂平にある、窯元を訪ねて手に入れた、吉備焼(きびやき)総本家
3代目水川護山作のぐい呑みです。







ぐい呑みにしては、大きめの、径7cm、高さ6cmほどあります。

土も粗土で、肉厚の作品で、持った感じは、ちょっと重い感じがします。吉備焼の伝統の土は、裏山からのものと、瀬戸から運んだものを調合して、作っているとのことでしたが、この粗土は、3代目が好んで使った土だそうです。

吉備焼総本家は、現在、3代目の護山さん、4代目の創壌さんが、作陶されており、創壌さんに、展示室で、色々なものを見せていただきながら、説明をしていただきました。

そして、最終的に、選んだのが、これです。4代目には、ちょっと申し訳なかったのですが、先代のものを選ばせていただきました。(笑)



裏山には、使われなくなった登り窯が残っており、このぐい呑みを包んでいただいた大奥様から、戦前は、職人も40人ほどいて、大々的に、焼かれていたというお話をしていただきました。

 登り窯跡

この窯元は、JFEスチール(旧日本鋼管)の福山工場のすぐ近くにあり、この工場ができる前は、遠浅の海岸のウォーターフロントだったそうで、天然記念物の生きた化石と言われている「カブトガニ」も、見かけることができたそうです。今は、工場に囲まれて、工房を探すのに苦労しましたが、こんな工業地帯に、工房があるのには、びっくりでした。

吉備焼(きびやき)は、明治38年に、初代水川豊太郎氏が開窯したものですが、その源泉は、元禄文政年間に始まった岩谷焼にたどることができるそうです。

名称の由来は、初代の出身地の吉備郡岡田村だそうですが、笠岡市なのに、何故「吉備」焼?と思っていましたので、納得です。(笑)

この白釉の作品は、数々の作品の中でも、特徴的で、際立っていました。大変良いものを手に入れたと思っていますので、末永く、大切にしたいと思っています。

吉備焼系図   水川豊山(初代) − 陶芳(2代) − 護山(3代) − 創壌(4代)

                                             (記 : 2009年12月28日) 
訂正 :

2009年12月28日の記事中、「吉備焼総本家は、3代目の護山さんが、亡くなり、現在は、4代目の創壌さんが、後を継いでおられ、創壌さんに、展示室で、色々なものを見せていただきながら、説明をしていただきました。」としておりましたが、私の大奥様との会話の中で、「これは、先代のもので・・・・」と言われたことを、確認もせずに、3代目の護山さんは、亡くなったと受取り、記事にしておりました。

水川創壌さんより、護山さんは、ご存命であるとのメールでいただき、「吉備焼総本家は、現在、3代目の護山さん、4代目の創壌さんが、作陶されており、創壌さんに、展示室で、色々なものを見せていただきながら、説明をしていただきました。」と、訂正させていただきました。

大変、ご迷惑をお掛けしました。謹んで、お詫び申し上げます。
                                             (訂正 : 2011年1月31日)

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