2010年4月11日に岡山県倉敷市の天神窯を訪れて買った、岡本和敏作・黒釉ぐい呑みです。
実は、このぐい呑みは、窯出しされたばかりで、新作でした。窯元の展示室で、色々と見て、このぐい呑みが気に入ったので、「これを、お願いします。」と話すと、「ちょっと、待ってくださいね。売り物かとうか?聞いてきます。」とのことでした。
当代(二代)の岡本篤さんが、展示室にお見えになって、OKということで、息子さんの岡本和敏さんの作品でしたが、譲っていただけることになりました。
残念ながら、岡本和敏さんは、外出中でしたので、岡本篤さんに、箱書きをしていただきましたが、その岡本篤さん、「う〜〜〜むむむむむ・・・・・・この作品の名前をどうしよう・・・・・新作なので、まだ、名前を考えていない。」とのことでした。
最終的に、篤さんが選んだのが、「黒釉としておきました。」ということです。
大きさは、径6.5cm、高さ4.5cmのぐい呑みで、共箱、共布、栞つきです。
岡本篤さんと
当代の篤さんと、ご一緒に写真も撮らせていただき、その後、奥様に、お茶を立てていただきました。その際に、出していただいた茶碗が、天神窯独特の「玳玻盞天目茶碗(たいひさんてんもくちゃわん)」で、娘が、壊してはいけないと、気が気ではありませんでした。(笑)
このお値段ですので、ビビリますよね。(笑)
天神窯(てんじんかま)は、岡山県倉敷市羽島にある窯元で、○○焼という名称を使用されていません。ほぼ同じところに、羽島焼の窯元もあるのですが、天神窯は、羽島焼とは、名乗っておられません。
この理由をお聞きすることはなかったのですが、お話の中で、土の話をした際に、「土は、色々なものを混ぜて使っています。」ということでしたので、土が地元のものではないという理由からかもしれませんね。
先代の岡本欣三さんが、苦難の上、立ち上げた窯元だそうで、ベルトが買えず、縄でベルトの変わりにしたというお話もお聞きました。中国青磁を見て、「これは、日本では作れない」と言われ、「それならば、私がやってやる!」と決意したのが、19才の時だったそうです。
二代目篤さんは、昭和19年生まれですので、今年64歳ですが、若々しいですね。和敏さんは、昭和50年生まれで、35歳、油の乗っている年齢です。
尚、同じ倉敷市内の酒津焼の窯元さんも、岡本さんですが、両家に、血のつながりはなく、無関係だとのことでした。(「岡本章作・酒津焼のぐい呑み」参照)
天神窯では、下のような色々なものに挑戦されていますが、その中でも、「玳玻盞天目釉(たいひさんてんもくゆう)」は、独特で、この窯で開発されたものだそうです。
天神窯では、家族ぐるみで、釉薬の開発もされており、世に、新作を送り続けておられます。私のぐい呑みの釉薬も、息子さんの和敏さんの開発されたものだそうですので、今後、人気になればいいなと思っています。
この後
、同じ羽島にある羽島焼(はしまやき)の窯元へも、行きましたが、あいにく、気に入ったものがなかったので、何も買わずに、お暇しました。ごめんなさい!
羽島焼は、酒津焼の陶工小河原虎吉氏が、昭和22年に独立した窯で、作風は、酒津焼を踏襲しています。現在は、2代目小河原勝康さんが、継承しています。
羽島焼窯元入口
二代目・小河原勝康さん
(記 : 2010年4月13日) |