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2012年7月19日に、島根県大田市温泉津町の温泉津焼の里を訪れました。そしてその際に、椿窯を訪問して買った・荒尾寛作、温泉津焼(ゆのつやき)の鉄絵ぐい呑みです。 大きさは、径:75mm、高さ:55mm程度の、鉄絵に灰釉が掛けられた、大変、優雅な作品です。 あいにく、息子さんしかおられなく、箱書きをお願いしたのですが、後日の発送になるということでしたので、栞を紙箱に入れていただきました。 椿窯というだけあって、椿をモチーフにした作品が多かったのですが、私は、シンプルながら、上品な感じのするこのぐい呑みを選びました。 椿窯の展示室で 温泉津焼は、民窯ということもあってか、どの作品にも窯印が入っていませんでした。牛ノ戸焼や、出西窯、湯町窯等にも見られる現象でしたので、民芸活動の影響を受けた窯元は、窯印を入れないのかもしれませんね。 ★ 作家 プロフィール ★ 荒尾 寛 (あらお ひろし) 1940年、京都生まれ 10歳の頃より父常蔵と河井寛次郎の指導を受ける。 昭和44年父と温泉津の地に建窯。 こちらは、同日に買った、森山窯・森山雅夫作の辰砂ぐい呑みです。 大きさは、径:55mm、高さ:45mmとちょっと小振りのぐい呑みです。 丁度、窯出しされたばかりで、奥様が、作品の高台の釉取りをされている時に、お邪魔しました。 1点ものは、年に2回の登り窯での窯炊きで行うそうで、普段は、ガス窯を使用されているそうです。ガス窯から、窯出しされてたものは、辰砂釉となまこ釉の作品が多く、辰砂は、赤の色が飛ぶので、難しいんだと奥様が話されていました。 家内は、なまこ釉のミルク入れと、練乳入れを買っていました。 森山雅夫さんは、河井寛次郎の最後の弟子であり、昭和46年に、現在の地に開窯して、主に民芸調の作品を作り続けています。 森山窯にて ★ 作家 プロフィール ★ 森山 雅夫 (もりやま まさお) 1940年 大田市朝山町に生まれる 1957年 島根県立職業補導所陶磁器科卒業 1957年 卒業後、すぐに河井寛次郎の内弟子となる 1963年 倉敷堤窯 武内晴二郎のもとで修行に励む 1969年 温泉津町 椿窯内にて独立 / 日本民芸館展初入選 1971年 現在地にて森山窯として独立 2004年 島根県ふるさと伝統工藝品指定 温泉津焼の窯元は、いずれも、やきものの里から、すべて徒歩で行けるところにあり、森山窯、(有)椿窯、椿窯(荒尾浩一陶房)の3つがあります。夏の暑い時期でしたので、坂があって、ちょっと疲れましたが、いずれの窯にも立ち寄りたいですね。 椿窯(荒尾浩一陶房)入り口 温泉津焼(ゆのつやき)は、島根県大田市温泉津町で焼かれる焼き物で、江戸時代、宝永年間(1704-1708)に、3窯が開かれたと伝えられます。その後、石見焼江津地区の職人により技術改良が加えられ、幕末から明治にかけて数多く生産されました。 石見銀山の銀の積み出し・交易港としても栄えた温泉津港は、リアス式海岸で、大型船舶の寄港可能な天然の良港で、「半斗(はんど)」と呼ばれた水瓶に代表される温泉津焼が、ここから北前船で全国へ積み出されました。 港に隣接した松山地区は、急傾斜が多く、登り窯を設けるのに適し、付近からは耐火度の高い良質な陶土、釉薬が産出され、さらに焼成に必要な松樹も多く存在し、やきものには最適の土地でした。 製作されたものは、あめ色の来待釉(きまちゆう)に、黒色の「たれ」という模様をつけた水がめ「はんど」や、すり鉢、生活陶器が主流でした。 現在では、河井 寛次郎氏(1890-1966)の流れを汲む椿窯、(有)椿窯、森山窯の3窯が、温泉津焼の伝統に民芸の風を吹き込んだ作品を作っています。 また、毎年春と秋の2回開催される「やきもの祭」では、稼動する中では日本最大級といわれる登り窯に、昔と同じ手法で炎が燃え上がります。 やきものの里と、併設の登り窯 登り窯 @ (15段) 登り窯 @ 登り窯 A (10段) 登り窯は、大小2つあり、共に立派なものでした。現在使われている登り窯の道向かいに、登り窯跡があり、こちらも見学できるようになっています。 登り窯跡 温泉津のレトロ温泉街 その夜は、温泉津温泉に泊まりました。町並みが、世界遺産に登録されているということで、昭和のレトロな雰囲気が楽しい温泉街でした。翌日は、世界遺産の「石見銀山」を見学しましたが、真夏にすべて歩いて回りましたので、うんんんん・・・・・・・年寄りには、堪えました。(笑) (記 : 2012年7月21日)
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