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薩摩焼の里を訪問!

2013年4月6日〜8日に、鹿児島県の薩摩焼の里である龍門司焼苗代川焼の里を訪れました。



これは、日置市(旧東市来町)美山の苗代川焼沈壽官窯で買った、「そらきゅう」というぐい呑みです。











所謂、黒薩摩のそらきゅうで、箱書きにもありますが、ぐい呑みサイズですので、そらきゅうとしては、少し大き目のものです。

大きさは、径:52mm、高さ:64mmで、共箱、栞付きです。

「そらきゅう」とは、コマのように先が尖がっている酒器で、お酒の入ったままでは、テーブル等に置くことが出来ません。その為、お酒注がれた人は、お酒を飲みほさなければ、盃を置くことは出来ませんので、否応なく飲まされるということになりますね。

語源は、「そら!きゅう〜〜〜と飲め!」というところから、来ているといわれています。

そらきゅうは、熊本、鹿児島地方で、見られる酒器で、宴会用に使われていることが多いようです。どちらも、球磨焼酎、薩摩焼酎を飲む際に使われるようですが、現在では、結構、全国的に、広がっていて、色々なところに、このそらきゅうを焼いている窯もあるようです。

全国各地には、このようなおもしろい酒器がたくさんありますので、今後も、集めていこうと思っています。

薩摩焼の歴史は、約400年前の文禄・慶長の役(1529〜1598)、別名「やきもの戦争」で朝鮮出兵した薩摩藩17代藩主島津義弘が、80人以上の朝鮮人陶工を連れ帰ったことに始まりますが、そのうちの、40名が、鹿児島県日置市東市来町美山が、故郷の朝鮮に似ていることから、ここに、窯を開きました。

以来、400年余に渡って、薩摩焼を発展させ、日本の代表的なやきものの1つになるまでに至っています。

美山(苗代川)では、400年前に連れてこられた陶工たちの子孫が、延々とその技術を継承、発展させています。

中でも、名工12代沈壽官が、1873(明治6)年のウィーン万国博覧会に出品し、その作品が好評を博して、「SATSUMA」の名を、世界に知らしめました。

今回は、上記の沈壽官窯の他、荒木窯鮫島佐太郎窯を訪問し、勉強してきました。

まず、沈壽官窯ですが、大きな敷地の中に、伝統を重んじていますが、来訪者への心配りが随所に見られる窯で、名門の窯でありながら、大変、親切で、親しみやすい窯元でした。



まず、窯元に入ると、資料館があり(入館料500円)、そこに、歴代の沈壽官の作品がありますので、行かれたら、是非、入館することをおすすめします。

すぐ近くには、登り窯もあり、少し、山側には、工房の作業場があります。内部へは入れませんが、外から、ガラス越しに、作業されている陶工たちの様子が見れるように工夫されています。





また、作品の販売棟もあって、工房作品がおいてあります。その展示棟の2階には、沈壽官本人作の作品も展示、販売されています。本人作のお品は、すべて100万円以上で、透かし彫りの作品は、「非売品」になっていました。





沈壽官窯では、白薩摩用と、黒薩摩用の2種類の土を使っているそうで、素焼きは、電気窯で、白薩摩の本焼は、降りものを嫌うのでガス窯、黒薩摩は、豪快な窯変を狙って、登り窯で焼いているそうです。

尚、沈壽官窯の詳細については、「14代沈壽官作・薩摩焼のぐい呑み」をご参照ください。

次に、朴平意の末裔にあたる荒木陶窯に行き、買ったのが、この黒薩摩のお皿です。







 「苗代川 荒木窯」

大きさは、径:14cm、高さ:1.5cmほどで、栞付きです。

窯元巡りをしていて、黒薩摩のこういったデザインのものは、他では見掛けられませんでしたので、荒木窯のオリジナルデザインかな?と思い、購入しました。

次に行った窯元の鮫島佐太郎さんから、お話を聞いたのですが、黒薩摩の釉薬は、2種類あって、黒っぽいものと、少し緑っぽいものの2種類を使い分けるそうです。このお皿は、緑っぽい釉薬を基本にして、葉型に黒っぽい釉薬を吹き掛けして、2種類の釉薬を、うまく使い分けたものですね。

荒木窯は、朝鮮から連れてこられた陶工の中でも、親方であった朴平意の末裔であるということで、昔からの伝統を重んじ、元祖「苗代川焼」と自負されているようです。



 登り窯

次に、鮫島佐太郎窯へお邪魔し、その際に買った黒薩摩のぐい呑みです。





鮫島佐太郎さんに、色々と説明をしていただいたのですが、右のぐい呑みは、緑っぽい色をしています。黒薩摩の基本は、この緑っぽい色が出る釉薬と、ほぼ真っ黒になる釉薬の2種類だそうで、季節や、窯の状態で、色の発色が変わってくるそうです。

左側のぐい呑みは、やや茶褐色になっていて、鉄釉のような色になっていますが、こちらも、自然に作った釉薬の具合で、こんな色の発色が出ることもあるのだそうです。



鮫島佐太郎窯の作品は、ほとんどが、黒薩摩なのですが、上の展示品を見てもおわかりのように、色々な色のものが焼きあがっています。

お値段も、大変良心的なものばかりで、逆にやっていけるのだろうか?と心配になるくらいです。(笑)

尚、鮫島佐太郎窯の詳細については、「鮫島佐太郎作・苗代川焼の花器」をご参照ください。

美山の里には、400年前から続く15〜16軒の窯元があります。歩いて回るには、少し、根性がいる距離です(1日歩けば、全窯元制覇も可能か?)が、どの窯元にも駐車場がありますので、車で窯元巡りをするのもいいでしょうね。

、鹿児島県姶良市加治木町にある、龍門司焼の里を訪問した際に買ったぐい呑み2点です。



箸置きは、おまけでいただきました。









大きさは、径:60mm、高さ:55〜57mmで、栞付きです。

龍門司焼の特徴は、粘土や釉薬の原材料は、地元で採取、精製調合し、登り窯での焼成された、黒釉青流し三彩をはじめ、珍しい鮫肌蛇蝎など、多彩な天然釉により、素朴ながら優美な品格を持ち親しまれた作品ですが、このぐい呑みは、その中の「黒釉青流し」と、「三彩」のものです。

上記の通り、文禄慶長の役(1592年〜1598年)で、島津義弘が、朝鮮から、80人あまりの陶工を連れて帰りましたが、その陶工のうち、40名は、苗代川に窯を構えましたが、残りの40名は、帖佐で窯を開きました。その後、殿様が加治木に居城を移したので、窯を加治木に移しましたが、これらの窯は、廃窯となりました。しかし、1631年に、この時の陶工の子孫が窯を開き、その後、現在の小山田に窯を移していますが、これが、龍門司焼として、現在まで、続いています。

龍門司焼(りゅうもんじやき)についての詳細解説は、「龍門司焼の一輪挿し」にありますので、ご参照ください。

 展示室で

展示室の隣には、いろりのある工房があって、丁度お邪魔した時には、陶芸の実演指導をされており、轆轤を使って子供たちが作品に挑戦中でした。



恐らく、指導されているのは、代表の川原史郎さんだと思います。

 登り窯

龍門司焼企業組合の近くには、1718年に作られた朝鮮式登り窯の龍門司焼古窯(連房式登り窯)があり、昭和41年に、鹿児島県指定有形文化財になっています。







こういった古窯が残されているのは、いいですね。登り窯は、土で出来ていますので、メンテナンスを止めるとすぐに、草が生えて、土に戻ってしまいます。昔の人たちの息吹を残すことは、現代に生きるものに取っても、生きるすべを見つけるきっかけになりますので、残してもらいたい文化財です。

今回は、薩摩焼の大きな3つの系統のうち、竪野系の窯元へお邪魔することが出来ませんでしたが、竪野系の窯元は、市街地にあり、里の雰囲気を感じることはできませんので、また今度ということにしたいと思います。
                                               (記 : 2013年4月29日)

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