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2013年10月21日に、香川県東かがわ市水主の讃窯(さんがま)を訪問した際に買った、田中保基(たなかやすき)作・印華文ぐい呑みです。 大きさは、径:6.2cm、高さ:5.1cmほどで、無釉の胴は、印華文 で埋め尽くされ、3つの足が付いており、見込みは、白釉が掛けてあるぐい呑みで、共箱、共布、栞付きです。 讃窯を訪れて、まず、目を引いたのが、このぐい呑みのような鼠色で無釉の地肌の焼き物でした。作品中の7割程度は、この焼き物でした。 展示室の様子 とても、特徴的でしたので、田中さんにお聞きすると、土に顔料を混ぜて練り込み、こういった色を出しているとのことでした。土は、信楽の土を使われているそうです。 作品は、「中国の土器にヒントをもらって、自分なりにデザインした」と、おっしゃっていましたが、和風っぽいのですが、ちょっと和風を超えているようなデザインが多かったですね。 刷毛目や、灰釉の作品もありましたが、やはりこの独特の手法のものがいいなと思い、今回のぐい呑みを選びました。 木箱に、箱書きをしていただき、ご一緒に、写真も撮らせていただきました。 田中保基さんと 讃窯は、東かがわ市にあり、アトリエは、かなり古い農家を利用されているようで、大きな木材の梁や、土壁が、印象的でした。 縁側にも、下の写真のように、作品の幾つかが置いてありましたが、夜間はどうしているのかな?とちょっと心配になりました。(笑) 隣接して、登り窯もありましたが、現在は、使用していないそうです。 登り窯 ★ 讃窯 ★ 讃窯は、香川県東かがわ市水主にある窯元で、天保3年(1832)、9代高松藩主松平頼恕(よりひろ)候に当時の三大名工の一人、仁阿弥道八(にんなみどうはち)が、京都から香川県大内町(現在の東かがわ市)に招かれ、その地で窯を築き、京焼の持つ優美で雅趣のある作品を数多く作り、頼恕候に献上し、その功績により「讃窯」の銘を与えられ、松平高松藩窯となりました。 翌年、道八は京都に帰ることになりますが、長男と弟子たちの手で代々讃窯を継承し、順調な発展を遂げますが、廃藩置県により、藩の庇護がなくなった明治期に衰退し、明治18年頃に窯は途絶えてしまいました。 その後、約100年を経た1979年、地元で鞄製造業を営む長田英男氏によって、当時の窯跡付近に本格的な窯場が再興され、今日に至っています。 ★ 作家プロフィール ★ 田中 保基 (たなか やすき) 1958年 福井県生まれ 1981年 嵯峨美術短大 陶芸専攻科卒業 1983年 香川県讃窯にて、制作開始 1990年以降、入選、入賞多数。 ★ 讃岐うどん ★ 香川県と言えば、言わずと知れた、「讃岐うどん」の本場ですよね。近年は、その讃岐うどんの食べ歩きが流行っているようで、その特徴や、オススメを紹介したサイトもたくさんあります。 そんな情報を考えながら、今回は、2件のうどん屋さんへお邪魔したました。 まず、立ち寄ったのが、善通寺市にある、「山下うどん」で、「通の選ぶ10店」の中に入っている有名店ということで、行ってみました。 ここは、ぶっかけうどんの元祖とも言われており、ぶっかけうどんが有名で、私が頼んだのは、「冷たいぶっかけ」の中の「肉ぶっかけうどん」、だしは、冷(ひや)と、温(あつ)が選べましたので、温にしました。 家内は、暖かいうどんが食べたいというので、「とろろうどん」にしたのですが、ぶっかけの方が、冷水で締めてある分、うどんがぎゅっと締まっていて、腰があるような印象でした。 翌日は、坂出市にある「とらや」で、先代が始めたという「明うどん」を食べました。わさびを入れて食べるという個性派のうどんでした。おいしかったですよ。 お昼を過ぎていて、少しお客さんも少なかったので、お店の方にお聞きすると、昔は、普通のうどんのように「かけうどん」が一般的だったが、製麺所で、出来たての麺に、しょうゆを掛けて食べてみると、これが、おいしいということで、製麺所の間で広まり、それが一般のうどん屋さんにも、広がっていって、今日のような讃岐うどんのスタイルが広まったと解説していただきました。 今や、「讃岐うどん」は、全国区になっていますが、こんな事情から生まれたものなんですね。出汁つゆは、いりこ が基本で、うどんの腰の強さ、喉越しの良さが、人気です。 (記 : 2013年10月23日)
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