まず、陶磁器とは、なんぞや?ということですが、陶器、磁器、土器等の違いを、正確に言える人は少ないのではないでしょうか?
まず、陶磁器に至る前に、土器、土師器、せっ器(須恵器)があります。これらは、紀元前から縄文式土器、弥生式土器、はにわ等で親しまれており、知らない方はいないでしょう。土器は、世界中で作られており、人間が水を溜めるものとして考え出したものです。土器は、粘土を焼き固めたもので、通常700℃から800℃で焼かれています。野焼きの限界焼成温度がこの辺なのです。植木鉢等がこれに当たります。
素焼きでは、水が漏れてしまいますので、色々な工夫がされていますが、東南アジアで行われている、まだ熱い焼き上がりの土器に籾殻を擦り付けて黒くして、水漏れを少なくするような工夫もあります。日本でも、同様の工夫がされ、内側を黒くコーティングする手法が、平安中期に、陶器が焼ける技術が入るまで、使われていました。
下の写真は、タイのバンコクで買い求めたアンコールワット出土とされる(かなり怪しい?)黒色土器です。東南アジアでは一般的です。せっ器は1000℃くらいまで焼成温度を上げて徐々に冷やして焼き締めるやり方です。 (「バンコクで買った黒色土器」参照)
黒色土器
陶磁器は、焼成温度が1250℃〜1300℃まで上げられて、粘土の成分が変化して水を通さないようになったり、釉薬が溶けてガラス質のものに変化して水を通さなくしているものなのです。陶磁器とは、大きく分けて陶器と磁器に分けられます。磁器はたたいてみると“チーン”と高い音がし、陶器は鈍い音がするものだと思うとわかり易いと思います。西洋皿や通常家庭で使っている飯茶碗が磁器です。
陶器が、日本で作られるようになったのは、平安時代の中期です。中国より焼成温度を1250℃以上に上げる技術が朝鮮を経て伝えられたからです。まず、備前、丹波、信楽、常滑、瀬戸、越前のいわゆる“六古窯”に新しい風を吹き込みました。その後、備前を除く5つの窯では釉薬を用いた焼き物へと移っていきました。
陶器の代表格の信楽焼きの水指
磁器が、最初に作られるようになったのは、中国で元の時代(鎌倉時代、14世紀)です。日本では、江戸時代の初めに、佐賀県の有田町で作られるようになりました。何故、有田なのか?ということですが、これは、秀吉の朝鮮出兵と関係があり、その際に朝鮮から連れて帰った優秀な陶工が、有田に磁土(カオリンを含む土、有田では土というより石状、下記の写真参照)を発見したからです。
この時、別の陶工たちは、萩で萩焼を、唐津で唐津焼を起こしています。有田では、その後有名な初代柿右衛門が柿右衛門様式を確立して世界に誇る芸術にしていますし、当時の鍋島藩は幕府や朝廷への献上用に鍋島焼という洗練された芸術作品を世に送り出しています。現在は鍋島焼は、今右衛門として有田で継承されています。
また、有田の技術は加賀の九谷へも継承され、九谷焼として磁器の生産が続いています。
磁器の代表格の有田焼と有田磁土
ちょっとお堅い話になりましたが、私の色々なうんちくの基礎知識になるところですので、頭の片隅に置いて
いただければ、幸いです。
(記 : 2008年4月20日)
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