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エピソードと共に、その起源や、特徴を、ご紹介しています。意外な場所に、
意外な、お宝があるものです。画像と共に、うんちくも、お楽しみください。 

古九谷の謎 

  古九谷焼は、ミステリアスである。その歴史については、色々な意見があって本当のところは良くわか
らない。

古九谷は古伊万里即ち有田焼であるというのが、つい最近までの通説であったが
、石川県九谷焼美術館の
ホームページをみると、古九谷は存在したとある。著作権のこともあるが、ちょっとHPから引用させていた
だいた。

 「大聖寺藩初代藩主の前田利治は、領内の九谷村で、鉱山開発中に陶石が発見されたのを契機に、
磁器生産を企画。九谷鉱山の開発に従事して、錬金の役を務めていた後藤才次郎を肥前有田に陶業技術
修得に遣わした。後藤は帰藩後、九谷の地で窯を築き、田村権左右衛門を指導して、明暦元年(1655)頃に
色絵磁器生産を始めた。これが九谷焼生産のはじまりである
。」とある。

 また、古九谷の存在については、「かつて九谷古窯跡に色絵付窯跡が発見されなかったために古九谷
色絵はなかったという抹殺論もでました。

しかしながら、平成12年に九谷古窯跡近くの九谷A遺跡から江戸前期の色絵付窯跡が出土したことは、
まだ記憶に新しい出来事です。

窯跡を示す焼土層は七ヶ所でました。石川県埋蔵文化センターの説明によれば焼土層のあり方が外窯・
内窯の二重となった薪窯の構造に当てはまるということです。

素地を焼いた九谷古窯跡が九谷村内の大聖寺川を挟んだ対岸にありこの一帯でロクロ成型から色絵付け
焼成まで一貫して生産されていたことが証明されました
。」とある。

 ここまで、言い切っているのだから、信ずるしかないと思うが、いずれにしても、古九谷の美しさは、日本の
陶磁器の中でも3本の指に入ると私は思っている
。特に私は下の写真のような青九谷が好きで、鍋島焼にも
似ているが、もっと個性が強いと感じる。
        

 古九谷は、上記説が正しいとしても、約50年間で廃窯になっている。それ故、元々古九谷は存在しなかった
のではないかという説もあるのである。どちらにしても骨董の世界では、古九谷はどこで作られていようと、
非常に高い評価を受けているし
、とにかく物が少ないので、値段は古伊万里の比ではない。

 現在は、再興九谷として廃窯から100年あまり経って復活し、現在もその独特の美しさで多くの人を魅了
している
。最近多くの陶芸家が独特の手法で喝采を浴びているが、九谷をまねすることはできないと私は
思っている。今尚、根強い人気のある九谷焼を是非とも継承していっていただきたいと願っている。

                      

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