骨董品を集める楽しみは、何といってもその骨董品を手にしながら、この作品は、誰の手にあって、
どう使われていて、どうして骨董屋にまで来たんだろうと想像することでしょう。1時間見ていても飽きない
ものもあります。経年しても美しさが全く衰えないものもありますが、ひびがいったり、繕いがしてあるもの
のあります。欠けているものもあります。それでも長々と時代を超えて受け継がれたものですから、
何かの魅力がなければ残っていかないと思います。
さて、ちょっと聞きなれない”約束事”という言葉を説明いたします。約束事とは、この時代に作られたので
あれば、必ずそうでなければいけないという決まり事のことです。例えば、”初期伊万里の大皿というのは、
三分の一の高台で、釉薬が生掛けである”といった、その時代、その場所でできたものは、そうでなければ
ならないというものです。ですから、骨董を見る時には、ある程度の歴史的背景を基にした専門知識がないと、
ただ美しいだけでは、つまらなくなってしまします。東南アジア、特にインドネシアを中心とする地域には、
1650年頃の輸出伊万里があることは、考えられるが、幕末の古伊万里が、この地方にあるとは考えられ
ません。また、明朝の磁器は、万暦年間の後、陶磁器の輸出を禁止していますので、それ以降のものが
東南アジアに多くあるとは考えられません。
すなわち、信じられないものが、信じられないところには、”ない”ということなのです。このように、知識は、
掘り出し物を見つける為の土台として考え、お宝に巡り合えるためには、多少の勉強も必要でしょう。
この呉須赤絵は、古伊万里を買ったのと同じ時に買ったものですが、明代、1350年頃のものではないかと
思っています。絵柄がかわいらしくって買ったものですが、結構ものが良かったようです。

いつどういった形でお宝に巡り合えるかはわかりませんが、良いものに出会った時には、そのお宝が呼んで
いたように思えるのが不思議でたまりません。これも骨董集めの楽しみなのでしょう。私の住んでいる広島では、
芸予大地震がきました。結構揺れましたが、お宝はこわれませんでした。次代に引き継いでいきたいと考えて
います。