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畑義幸作・川尻筆

畑義幸(はた よしゆき)作・川尻筆(かわじりふで)です。









全長:約305mm(イボ別)、内径:約8.7mm、出穂:約52mmの、 細光鋒を100%使用した、羊毛筆で、軸は水牛ダルマです。

残念ながら、市販価格:10500円の筆ですが、委託者が卸すはずだった書道用品店が、倒産してしまったために、在庫処分品として出品されているために、軸に、銘が彫り込んでありません。

作者は、伝統工芸士の広島県呉市川尻町 在住の畑義幸(はたよしゆき)氏です。畑さんは筆職人の家の三代目で、羊毛筆を専門としています。羊毛筆は筆の中の最高級品で、畑さんは、特注の1本ものを得意とされている方です。

羊毛筆と言いましても、緬羊(ひつじ)の毛で作られているのではなく、中国の江南地方に棲息する、「嘉蘭路」という山羊(やま ひつじ)の毛で作られており、通常の山羊(やぎ)と区別するために、山羊毛(さんようもう)とも呼ばれます。

 羊毛筆に使われる山羊

 使用される部分

山羊の毛は、丈が長く、毛先が柔軟でまとまりや墨含みにも優れています。その柔らかさゆえに摩擦による消耗が少なく、毛の寿命も長いのが特徴です。

上質な羊毛筆であれば、20年から30 年は使い続けることができるといい、使えば使うほど毛の弾力が増し、書きやすくなります。それが、毛筆の中で最上級と言われる所以かもしれませんね。

中国製の汎用の羊毛筆は使ったことがありますが、捌き筆で、こんなに穂先の長いものを1度使ってみたかったので、買ってみました。

★ 川尻筆 ★

川尻筆(かわじりふで)は、広島県呉市川尻町で作られている毛筆で、天保6年(1835)、菊谷三蔵が筆商を始め、摂州有馬に行き、銀六両(田一反五畝売却代金)を持って問屋から筆を仕入れ、寺子屋などに筆の置き売りを行ったのがはじまりとされ、農閑期の副業として筆を製造することを村人達に呼びかけました。

嘉永3年(1850)、川尻村の上野八重吉が、有馬(兵庫県)におもむき、自ら製法を取得し、また、出雲国松江の筆の産地から職人を雇い入れて、川尻筆の製造を始めました。ところが、当時出雲は「ねりまぜ」という高級筆を作り、安芸熊野は「ぼんまぜ」といって早くて大量生産をする特徴を持っていたので、八重吉は、両者のいいところを取り入れて筆の製造を行いました。この方法で作られた川尻筆は高品質であり、その後、何人かの業者が続き、「川尻筆」としての産地形成をなし、その名を全国に知られるようになりました。

 川尻筆

川尻筆は、明治末期から昭和の初めにかけて隆盛を極めました。戦中戦後、一時不振時代があり、戦後復活しましたが、現在は、獣毛などの原材料が入手困難であることや、後継者不足の問題など様々な問題を抱えていますが、尚、全国筆生産額の25パーセントを占めています。

平成16年に、国の伝統的工芸品の指定を受け、現在15近くの業者があり、呉市川尻町の産業発展に寄与しています。

川尻筆に関しましては、YouTubeに、大変詳しく解説してある動画、「伝統の名筆・川尻筆」にありますので、ご参照ください。

 練り混ぜ

 芯立て

 上毛巻き

 焼き締め

 仕上がった穂首

 完成

★ 作家 プロフィール ★

 畑 義幸 (はた よしゆき)

昭和26 年、川尻町で祖父、父と続く筆職人の家に三代目として生まれる。

父の元で筆づくりの基礎を身につけた後、東京や大阪の職人を訪ね技を磨く。

昭和53年、常陸宮・同妃両殿下へ毛筆を献上。
昭和57 年、全国最年少で全国書道用品生産連盟技能賞を受賞。
昭和59 年には2 回目の技能賞を受賞。
平成9年以降はテレビでも実演を披露し川尻筆の紹介に努めている。
平成16 年度全国伝統的工芸品公募展入選。

                                               (記 : 2014年1月11日)

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