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那智黒石硯

那智黒石使用の那智黒石硯(なちぐろいしすずり)です。











大きさは、幅:97mm、長さ:140mm、高さ:20mmほどで、紙共箱付きです。

製作社、製作時期は不明ですが、恐らく、三重県熊野市の熊野那智黒石協同組合の会員の業者のうちの1つで、シールのマークから、仮谷梅管堂 のものではないか?と思われます。

通常、墨堂の部分は、鋒鋩のあるセンシティブな部分なのですが、そこに、シールが貼ってあるのは、いただけませんね。

一般的に、那智黒石硯は、鋒鋩が少なく、墨のおりが悪いという評判ですが、使ってみて、試してみようと思い、購入しました。

 

 那智黒石の原石

那智黒石硯
(なちぐろいしすずり)は、三重県熊野市神川町(かみかわちょう)で産出される原石を、三重県熊野市や、和歌山県那智勝浦町で加工・販売されている硯で、平安時代には、すでに硯の材料として使用されていたとされますが、江戸時代に、一時採取を禁止され、明治中期に採掘禁止令が解けて、硯・文鎮などに利用されてきました。那智黒石を広く売り出したのは、明治になってからで、神川町神上の山西徳之助という人が、硯を作って売ったのが始まりといわれています。

那智黒石(なちぐろいし)は、囲碁の黒玉として有名で、上級品は、「黒は那智黒、白は蛤」と言われています。また、庭園の玉石にも広く活用され、知名度の高い石です。

何故、三重県の熊野市神川町の石が、和歌山県の「那智」黒石と呼ばれるようになったかは、諸説がありますが、主に熊野那智大社を訪れた人向けに、和歌山県那智勝浦町周辺で販売されたことで、有名になり、「那智石」となったという説が有力です。

尚、岩波書店の広辞苑で、1955(昭和30)年の初版以降、「和歌山県の那智地方(那智勝浦町)で産出した」と、58年間も誤記があったくらいですから、広く一般には、那智産が浸透していたものと思われます。

石質は、黒色で硬質の粘板岩です。黒い色は、基質に含まれる炭素によるもので、粒子の緻密さと相まって、 磨けば磨くほどに漆黒のつやがあらわれてきます。

ただ、硯石としては、硬度が高く、鋒鋩も少ないことから、実用的ではないとされています。(「和硯(わけん)いろいろ」参照)

現在は、那智勝浦町の「山口光峯堂」や、熊野市神川町の「猫印硯工房」などでは、手作りで作硯されているようです。那智黒石硯の製作工程は、「和歌山県 商工労働部 産地振興課」により、映像が編集されています。「神々の石から生まれる芸術〜那智黒硯〜」をクリックして、ご参照ください。

 

 

原石の採石場 

石の選別 

 

 

石の選別 

硯石の選別 


★ ニュー那智黒、那智黒に注意! ★

昭和45年頃から那智黒石の粉末成形による置物が作られるようになり、求めやすい価格で、色々な物が出来るようになりました。現在では年間生産額の5割 を占めています。

那智黒」とだけ表示されている商品は、那智黒石の原石を粉にしたものと樹脂を混ぜたもので、中には樹脂だけのものも数多くあるそうです。

商標「ニュー那智黒」(製法特許bW62620号)は、那智黒石を粉末にしたものにエポラック樹脂を原石に近い仕上げになる割合で混入して成形仕上した商品で、「成形品の本物」とでもいうものでしょうか?

いずれにしても、粘板岩は、板状に割れやすいため、原石の彫刻等では、割れやすいという欠点を補うために開発されたものだと思われます。置きものとして、売られているものの多くは、成形品と思われます。

尚、天然石を使ったものは、「那智黒」と表示されていますので、天然石にこだわる方は、「那智黒石」の表示のあるものを選ぶと良いようです。

  
   ニュー那智黒でできた人気商品の「八咫烏」               特許のマーク
                                                (記 : 2013年11月8日)

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