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宝硯閣作・龍渓硯

宝硯閣作?・龍渓硯(りゅうけいすずり)です。











大きさは、幅が広いところで15cm、細いところで10cm、長さが12cm、厚さが3cmほどの野面硯で、「龍渓」、「○硯閣作」と刻印があります。

「龍渓」から、龍渓硯であることは、間違いありませんが、作者について、調べたところ、中々、確たる証拠を見つけることができませんでしたが、過去に、「宝硯閣作」という硯がオークションに出されていましたので、「宝硯閣作」ではないか?と思っています。

漆黒の粘板岩の硯で、自然の形状を生かしたデザインになっています。

 

龍渓石の原石 

龍渓硯
(りゅうけいすずり)は、長野県上伊那郡辰野町横川地区の山中から産する、学名「黒雲母粘岩」を使って、辰野町で作られている硯で、今から、180年以上前の、文政十一年(1828年)、横川、一ノ瀬村に医を開業するかたわら、寺子屋式に学問を授け、書道をたしなんでいた淵井椿斎が、鍋倉山に露出している粘板岩に目をつけ、硯を作って使用してみますと、墨のおりがよかったので、村人たちに硯作りをすすめたのがはじまりとされています。

その後、この地を治めていた高遠藩が、財政難を立て直そうと、全ての硯石を所有し、甲州雨畑(現山梨県)の硯職人を招き 指導させ、硯を作らせました。作られたその硯は、民間には流出せず、大名などへの贈り物とされ、一時は 秘硯とされることもありましたが、その後、領外へ「高遠硯」「鍋倉硯」として売られるようになりました。

昭和10年、当時の長野県知事大村清一氏によって「龍渓石(りゅうけいせき)」と名づけられ、この石で作った硯を、龍渓硯(りゅうけいすずり)というようになりました。

一時、衰退していましたが、甲州雨畑の硯石が不足気味になり、埋蔵量の豊富な鍋倉山へ、川口丁郷さん、翠川希石さん、深沢秀石さんらが 移住して硯作りを始め、龍渓硯は復興しました。

戦後は、5〜6人で始められたそうで、一番ある時で、7軒の硯店があったそうですが、墨汁の普及もあって、硯の需要が落ち、現在では2人になってしまったそうです。

現在は、翠川堂硯店の翠川袈裟美(みどりかわ けさみ) さんと、硯工房清泉堂の3代深澤秀石 さんが作硯をされています。

龍渓硯の特徴は、石質が緻密で、鋒鋩が細かく、粒子の細かい墨をすることができることで、赤褐色の美しいも特徴の一つです。1984年に出版された、「和硯のすすめ 」(石川二男著)という本でのランキングでは、26産地中8位にランクされています。(「和硯(わけん)いろいろ」参照)


                 錆の景色も鑑賞の壺です。

上のような自然石を割り作硯したものを、「共蓋硯」といいます。龍渓石特有の赤錆の表面を残して、粘板岩の目に沿って、鏨を入れると見事に割れ、下の石に硯の海と丘を彫ったもので、実用には、やや重いですが、コレクションには、いいですね。
                                               (記 : 2013年11月11日)

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