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中島石真作・高田硯

三代目中島石真(健夫)作・高田硯(たかたすずり)です。











大きさは、幅:9cm、長さ:14cm、高さ:2cmほどで、紙共箱、共布、栞付きで、未使用品のようです。「高田硯」、「石真」と刻印があります。

高田石には、白い石紋が出るものが多く、石の硬度が違うため、かつては、黒い部分のみを墨堂にするように石取りをしたようで、この硯にも、墨堂の部分には、白い石紋が入っていません。

共箱も、最近のものは、木箱を使用しているようですし、この紙共箱は時代を感じますので、昭和の時代の作品ではないか?と思います。

高田硯は、岡山県真庭市勝山で作られている硯で、真庭市竹原の名勝神庭(かんば)の滝近くの山中に産する神庭石高田石)と呼ばれている、黒色粘板岩で作られています。岩層は、巾1.5mほどしかなく、この中 から均一な石質を選んで硯にします。

 神庭の滝

その起こりは、 室町中期、玄翁大和尚が、高田の庄(現在の勝山町)を訪ねた折、 硯石を発見したと伝えられています。

室町末期には、高田城の重臣・牧兵庫助が、豊後の大友宗麟に高田硯1面を贈った(天正初年(1573年))と 古文書に記されています。

江戸時代に入り、盛んに作られたらしく、江戸中期には高田城主・三浦明次により 乱掘を防ぐため藩有として採掘を制限していました。 そして代々藩主襲封の時、将軍へ献上するのを例としていたそうです。 また、剣豪「宮本武蔵」も、二刀流開眼に当り、書画道に精進の折高田硯を愛用したとも 伝えられています。


明治維新と共に民業に移された後、原石山を中島硯店が、入手し、採石から販売まで全て行っています。

現在では、中島健夫氏(号:石真)ただ1人が、この伝統の技術を受け継いで作り続けています。

硬すぎず軟らかすぎず、キメ細かな石質が特徴で、天然石のやわらかな曲線を残している作品が多いようです。また、高田石には、石の中に、金眼、金糸という斑紋や、白色の線を含んでいるものがあり、これを自然の景色と見て活かすのも特徴です。

ただ、白い部分は、硬度が高いので、黒い部分との差が出るため、なるべく墨堂を外すように材料取りをしているそうです。(下の硯には、高田硯の特徴である白色の線が出ています。)



★ 作家 プロフィール ★

 3代目 中島 石真         本名:健夫

父の他界により、19歳で、3代目となる。

昭和42年            昭和天皇皇后両陛下に献上

昭和46、47、51、53年   日本伝統工芸展入選

他、入選多数

 

 

岡山県真庭市勝山にある「中島硯店」


                                               (記 : 2013年11月18日)

追記 2:

高田硯の2枚目を入手しました。









  

大きさは、幅:13cm、長さ:18cm、厚さ:1.8cm、重さ:683gほどで、共紙箱、共布、栞付きで、3代目中島石真さんの作品です。

こちらの、硯には、神庭石特有の白い線が入っていて、「らしさ」が出ています。また、左側面には、白色の部分があって、この硯の景色となっています。

最初に買ったものは、きれい過ぎて、使う気になれなかったので、こちらの方では使ってみて、鋒鋩の様子や、使い勝手、特徴を調べてみようと思っています。
                                          (追記 : 2014年5月6日)
追記 3:

2015年4月15日に、岡山県真庭市勝山の中島硯店を伺ったのですが、残念ながら、その日は、定休日だったようで、工房の作品を見ることが出来ませんでした。

お店の前においてあった高田硯の原石の写真と、お店の風貌の写真を撮らせていただきました。



 原石



最終更新日 : 2015年4月29日

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