旅するところ、焼き物・骨董あり! <<<焼き物・骨董情報サイト>>>
虎班石(とらふいし)を使った、高島硯(たかしますずり)です。 大きさは、幅:15cm、長さ:16.5cm、高さ:2.4cmで、仙台堆朱の硯箱付きです。裏には、記念品の刻印と、「虎班石」と、「積善堂造」の刻印があります。 高島硯の特徴である、黄味を帯びた地に、青黒色の斑点が散在しており、記念品の刻印から、昭和30年代〜40年代のものではないか?と思われます。 高島硯は、現在、採石所は、閉鎖され(跡地は、自衛隊の敷地として利用されています。 )、ご高齢になった福井正男氏ただ一人が、ごく僅かを受注生産しているだけで、後継者はなく、高島硯の伝統の灯が途絶えようとしています。 今となっては、大変貴重な高島硯を手に入れることが出来て、うれしく思っています。 ★ 高島硯とは ★ 高島硯(たかしますずり)は、滋賀県高島市で作られている硯で、その起源は、天正年間(1573年〜1591年)に、織田信長によって比叡山三千坊の焼き討ちにあい、一族郎党を引き連れ落ち延びた、能登之守高城の末孫「貞次」が硯作りを始めたのがはじまりと言われています。 一族が現在の安曇川町で農耕し生計をたてていた頃、貞次が阿弥陀山で、偶然、傳教大師が唐より携えた硯の材料によく似た玄昌石(粘板岩)を発見しました。これをきっかけに、一族は硯への彫刻を始めたそうです。 明治に入って、安曇川町内にある阿弥陀山(標高453メートル)の山麓で、虎斑石(とらふいし)の鉱脈が発見され、明治から大正にかけて、安曇川五番領、三尾里の農家の副業として、かつては15万面から20万面を生産していました。 (画像出典:びわ湖源流.com) その名声はいよいよ全国的なものとなり、大正天皇の御大典記念には虎斑石硯が献上されました。 しかし、昭和に入ってから、それまで原材料としていた安曇川の阿弥陀山産出の虎斑石が取れなくなり、硯の需要が減る中、現在ではわずかに福井正男氏のみが、注文製作によって伝統を守っています。 唯一の硯匠の福井正男さん 高島虎班石硯は、黄味を帯びた地に、虎の模様のよう青黒色の斑点が散在する班文が出るのが特徴で、その班文が虎の模様に似ていることから、虎班石(とらふいし)と名付けられました。(右画像の班文参照) 自然石を使った、虎斑石本来の美しさと手彫りの優雅さを表現したものが多いのも特徴です。近年の高島虎斑石硯は、阿弥陀山産出された原石の在庫品を使用して作られています。在庫の原石が亡くなった時が、高島硯の終焉となるのでしょうか?寂しいですね。 下の高島硯は、滋賀県立琵琶湖文化館所蔵のもので、縦85cm、横28cm、厚み8cmの巨大な硯ですが、高島硯の特徴をよく表していると思いますので、高島硯の代表例として取り上げました。 (画像出典:「教育しが」) 硯は、毛筆文化の衰退や、IT化による文字離れで、需要が大きく減り、日本の硯産地でも、存亡の危機にあるものが多いのが現実です。 2009年には、福井県小浜市宮川の鳳足石硯(ほうそくせきすずり)も、後継者不足で、途絶えていますし、今後も、途絶える硯産地が出てくることが予想されます。 伝統は、一度途絶えると、再興が難しいものですので、少しでも応援していきたいと思っています。 (記 : 2013年11月29日)
(記 : 2013年11月29日)
Copyright (C) ともさんの焼き物・骨董紀行 All Rights Reserved