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土佐一水作・蒼龍石硯

蒼龍石(そうりゅうせき)で作られた土佐一水作、土佐硯です。









 

大きさは、幅:11cm、長さ:15.5cm、高さ:7cmほどで、作硯の様子と商標を描いた共布付きです。

原石の形を利用した、蓋付きの硯で、蓋の裏に、「土佐硯」、「中津岩雄」のラベルが貼ってありますので、昭和56年以前の、土佐硯が、土佐端渓硯と中村硯に分かれる前の、蒼龍石硯ということになります。

蒼龍石には、無地のものと、魚脳凍のような白色の文様が入るものがあり、まれに金暈の入るものがありますが、この硯には、白色の斑紋があり、蓋には、金暈も見られます。

蒼龍石硯は、市場にも中々出てこない硯で、出てきても高価で取引されることが多い中、まずまずのお手頃価格で、落札出来て、うれしく思っています。

尚、「蒼石」と書いてあったり、「蒼石」と書いてあったりする文献がありますが、どちらも同じものと捉えています。

昭和56年以降の蒼龍石硯には、下のもののように、「中村硯」、「坂本一水」のラベルが貼ってあります。



★ 蒼龍石硯とは ★

蒼龍石硯(そうりゅうせきすずり)は、高知県土佐清水市荒谷で採石された蒼黒の粘板岩を、硯にしたもので、戦後、高橋玄石氏が発見し、昭和30年ころ大阪の井上研山氏らの努力で、原石が発掘されました。

初代土佐一水は、奥様と親戚の3名で、昭和46年頃から作硯をはじめ、当初の販売は、親戚の中津岩雄さんが、担当したため、ラベルには、作者ではなく、販売担当の中津岩雄さんの名前が記されています。

昭和56年までは、「土佐硯」のブランドで、三原村の硯材と共に販売されていましたが、以降は、「蒼龍石硯」は、「中村硯」に商標変更し、現在に至っていますが、「蒼龍石硯」と「中村硯」は、全く同じ石材で、現在は採石は終了し、在庫の石を加工しています。

1984年に出版された、「和硯のすすめ」石川二男著という本があります。その本の中で、和硯のランキングがされています。筆者の独断と偏見に基づいたものだと思いますので、それほど気にすることはないのだと思いますが、専門家としての基準でランキングされたものと思いますので、参考にはなると思います。

そのランキングが、下記の通りです。

1位 蒼龍石旧坑 2位 若田石 3位 小股白絲石 4位 出合石 5位 小久慈石 6位 雨畑真石 7位 清滝石 8位龍渓石 9位 虎斑石 10位 金鳳石 11位 鳳足石 12位 紅渓石 13位 紫雲石 14位 土佐端渓石 15位 松渓石 16位 神庭石 17位 岩王子石 18位 諸鹿石 19位 久慈黒石 20位 雲渓石 21位 赤間石(旧石) 22位 赤間紫金石 23位 雄勝御留山石 24位 浪板玄昌石 25位 那智黒石 26位 怒奈川石

このランキングでは、蒼龍石硯が、No1に指名されています。数も少ないこともあるのでしょうが、名硯として、認識されているということだと思われます。

尚、土佐硯については、「土佐硯(土佐端渓硯)」に、土佐端渓硯と中村硯の違い等が、解説されていますので、そちらも、ご参照ください。重複になりますが、土佐硯とは?を下記の通り記しておきます。

★ 土佐硯とは? ★

広義の土佐硯(とさすずり)は、高知県幡多郡三原村、および四万十市(旧中村市)で、製作されている硯で、旧蒼竜硯(現中村硯)と、土佐硯土佐端渓硯)の2種類があります。

その歴史は、応仁の乱(室町時代1467年)に、関白一条教房公が京より戦乱をのがれ、一条家領のあった土佐国幡多荘、現在の土佐四万十市(旧中村市)に下向、土佐一条家を起こし、後に土佐の小京都と呼ばれる文化都市を築きました。

文才があり、能書家であった一条公は、この地で良質の硯石をみつけ、永く愛用したと文献に記されていますが、原石の場所についての記述はなく、その後、途絶えて、「幻の名硯 」となっていました。

戦後になって、土佐清水市荒谷で荒谷石(蒼竜石)、三原村で土佐端渓石 が発見され、硯の生産が再興されました。

蒼竜硯(そうりゅうけん)は、土佐清水市荒谷が、原石の採取地で、現在は、採石されていません。戦後、高橋玄石氏が発見し、昭和30年ころ大阪の井上研山氏らの努力で発掘され、「蒼竜硯」の名称を登録して世に広めました。

一方、土佐端渓硯(とさたんけいけん)は、幡多郡三原村源谷地区に原石があり、昭和41年、高知の書家、新谷健吉氏(故人)によって再発見されました。こちらの原石は、豊富で、金星銀星がみられ蒼黒色系の柔らかい肌ざわりが特徴です。

どちらも、昭和56年頃までは、「土佐硯 」という商標下で販売されていましたが、その後、「土佐硯 」は、三原村の土佐硯(土佐端渓硯)のみを販売することになり、蒼竜硯を作っていた土佐一水氏は、「土佐硯」から「中村硯」の商標に変更し、現在に至っています。

                                               (記 : 2016年1月11日)
追記 :

蒼龍石硯の2枚目を手に入れました。







大きさは、幅:9.5cm、長さ:13cm、厚さ:2cmほどです。作者の銘が入っていて、「土佐硯 ○山作」とあるようですが、ちょっとよくわかりません。

蒼龍石硯は、当初、土佐一水さんと、奥さん、親戚の方の3名で、作硯をしていたということですので、この硯は、親戚の方の作品かもしれませんね。

いずれにしても、販売を担当した中津岩雄さんによって、「土佐硯 中津岩雄」のラベルが貼ってありますので、蒼龍石硯には、間違いありません。

ちょっと状態は、あまり良くはないので、国産最高級硯として名高いものですが、遠慮なく、普段使いしてみたいと思います。
                                            (追記 : 2016年3月10日)

最終更新日 : 2016年3月10日

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