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清朝末期?胡開文製の古墨

清朝末期のものと思われる、胡開文製古墨(こぼく)2本です。



  

大きさは、日本の一丁型と同じサイズで、長さ:7.8cm、幅:1.9cm、厚さ:0.8cm、重さ:約15gです。

1本には、「同治六年嘉平月金陵 善甫氏製於海陽官廊」(同治六年十二月南京の海陽官廊に於いて、善甫氏製作)とあります。同治六年とは、西暦1867年で、清朝(1644年〜1912年)の末期のものということになります。

日本では、慶応3年で、江戸時代最後の年に当たりますので、146年前のものということになりますね。

デザイン、墨の状態、共に、同様と見受けられますので、もう1本の「惜如金」(1950年代のものには、曹素功ブランドでも、見受けられますが、デザインが違います。清代末期のものは、胡開文製のようです。)と共に、清代末期のものではないか?と思います。(「惜如金」は、「惜しむこと金の如し」の意味。

 1950年代製造?曹素功製の「惜如金」(画像出展:墨と硯と紙と筆)

唐墨の油煙墨と松煙墨」で、取り上げましたが、文革前の時代の唐墨の中には、古墨といわれる、「時代があって、生きている墨」があるということでしたので、もしや?と思って入手しました。

清朝末期は、製墨業は、胡開文と、曹素功が、市場を独占していた時代で、この古墨にも、「徽州胡開文製」と刻印されています。

未使用のようで、肌などは、結構時代を感じさせますので、その頃のものでは?と思っています。

中国の墨は、製造する過程で、金槌で何百回も叩いて、膠をへたらせます。膠は、煤を固める接着剤のような役割を果たしていますが、金槌で叩くことによって、膠の寿命が伸びて、何百年もの年月にも耐えるものが出来るとされています。(日本の墨は、年月が経つと、膠が分解して、寿命を迎え、最長でも50年程度が和墨の寿命といわれています。)



 墨玉を金槌で叩く

時代はありそうですが、問題は、「墨が生きているか?」です。これは、実際に、擦ってみないとわかりません。未使用品で、骨董価値のあるもののような気がしますので、「もったいない」感じもしますし、試してみたい気もします。

「お楽しみは、取っておくもの」ということもありますので、当面は、そのままにしておこうと思います。(笑)

追記 :

オークションで、私が買ったものと同じサイズの「惜如金」を見つけました。古墨20本まとめての出品(ほとんどが、胡開文製)でしたが、その中に、2本も「惜如金」がありました。書道家放出品とありましたが、結構、ポピュラーな墨だったのかもしれませんね。(1万円超で、落札されました。)



★ 古墨とは ★ (「唐墨の油煙墨と松煙墨」より転載)

Wikipediaによりますと、『古墨(こぼく)とは、文房四宝における墨の中で、製造されてから長い年月を経ている ものをいい、品質の良い墨とされている。通常、唐墨は清時代までに、和墨は江戸時代まで につくられたものを古墨と称す。』とありますが、ただ、古いだけでは、「古墨」とはいえないようです。


   明代萬歴年間 呉申伯 百老図墨 (出典:Wikipedia)

「唐墨と和墨の違い」で、「宋、明や清の時代に作られた「古墨」と言われる名墨は、長く使用に耐えますが、一般的に、和墨の寿命は、短い(最長50年程度)とされています。」と話しましたが、その鍵は、膠の蛋白質にあるようです。

所謂、「墨の枯れ 」は、言い換えれば、膠という蛋白質の自然界における分解の過程であって、膠を「腐らず」に、長く生かすことができれば、墨枯れが起きず、「古墨」としての、条件の1つを満たすということなのだと思います。

膠の大敵は、「高温多湿」で、気温30度、100%の湿度の条件では、1カ月ともたないそうです。

現在の奈良では、製墨を、膠の腐らない秋から冬にかけて行っているように、日本の夏のような高温多湿は、膠にとって最悪の条件のようです。日本の気候と、膠の性質が、和墨の寿命が短い原因のようですね。

一方、中国内陸部は、湿度が低いため、膠の蛋白質の分解が遅く、また、墨玉を作る際に、金槌で何度も叩いて、膠の組織を切っているのも、寿命の長い墨になる秘訣のようです。

「古墨」と言われているものは、良い墨を大切に、湿度、温度を低く保った状態で保管してきたことの現れではないか?と思います。

こういったことから、古墨とは、「製造されてから長い年月を経ていて、完全に膠の生きているもの 」と言っていいのではないでしょうか?

★ 仿古墨とは ★

仿古墨(ほうこぼく)とは、古墨にみえるように化粧を施された墨のことで、古墨を真似て作ったものです。(模倣古墨→ホウ古墨?)

中国においては、仿古墨は、清朝時代の、康熈、雍正年代、乾隆時代、嘉慶、道光年間に作られたものが多く、明朝時代や清朝初期の名墨を真似たものが多いようです。その後も、中華民国時代まで、仿古墨は作られています。

 日本においても、江戸時代には、唐墨の形とデザインを転用した模造が行われていて、明治時代まで続きました。

いずれの場合にも、偽物を作ろうというつもりで作っているのではなく、焼き物でいう、「写し」と同じで、良いものから、学び取ろうとして作っていますので、一概に粗悪品と決めつけることは出来ません。

ただ、問題は、流通の過程で、「写し」が、「本歌」と混ぜ合わされてしまっているということです。専門家が見れば、すぐにわかるものだそうですが、実物を見たことがない人では、難しいようです。焼き物の真贋を見分けるのと同じですね。

こちらは、清朝乾隆時代に、活躍した汪近聖の長男、汪璽藏の作とされる「千秋光 」の仿古墨 です。

  

歙曹素功堯千仿古法製」とあり、デザインは、本歌とは、全く異なり、曹素功堯千が、「千秋光」の品質を研究して作ったものと思われます。

下の古墨は、胡開文製の「千秋光」の仿古墨で、デザインは、オリジナルのものと同様のものですが、大きさが、全く違います。「郁文斎監製」とありますので、仿古墨だと表示しているようです。

          アマゾンで新品も!(笑)

名墨の多い乾隆時代は、清朝の中でも、最も栄えた時代ですので、「乾隆」は、ネームバリューがあります。焼き物の世界でも、そうですが、「乾隆年製」には、注意が必要のようです。(笑)
                                                (記 : 2013年9月9日)
                                              (追記 : 2013年9月12日)

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