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徽州族徳胡開文製の唐墨(油煙墨)・「鐵斎翁書画寶墨」です。 大きさは、幅:3.1cm、長さ:12.3cm、厚さ:1.2cmで、8丁もの (63g)です。(墨の大きさの呼称は、本文末をご参照ください。) 色々と、あやしい点があって、買ってみました。(笑) ★ 鐵斎翁書画寶墨 とは ★ この墨の「鐵斎翁」は、日本の文人画家、富岡鉄斎のことで、富岡鉄斎の要請を受けて、1912年頃に中国に、特注され、その後、日本への輸出用として、大量に造られ始めました。 「大好山水」とともに、日本の書家にも人気の高い墨で、「唐墨」の代名詞のようになっていて、通称「鉄斎 」と言われています。 現在でも、生産されており、アマゾンや、楽天で購入することができます。 もう100年以上も長く作られている人気の墨ですので、色々な変遷があり、年代によっても、意匠が少し異なり、初期の作品と、その後の作品では評価も変わってきています。 初期のもの(文化大革命以前)は、評価が高く、高額で取引されていますので、それなりに、あやしいものもたくさん出てきて、「真贋」問題になることもあって、ちょっとミステリアスです。 ★ 鐵斎翁書画寶墨の製造元の変遷 ★ 20世紀の初頭、1912年頃(富岡鉄斎が75歳)から製造が始められたこの唐墨ですが、当初は、上海にあった「曹素功堯千氏」で作られていたと思われます。 その後、1970年代の初めに、胡開文などの主な墨廠を、曹素功が統合して、「上海墨廠」として、一本化しました。 この上海墨廠は、1980年代後半には、解体されて、元の、胡開文や、曹素功のブランドを使う幾つかの墨廠に戻っています。 現在、売られている「鐵斎翁書画寶墨」の多くは、「上海墨廠 徽歙曹素功堯千氏精製」となっているものですが、稀に、「徽州胡開文製」のものもあるようです。 ★ デザインの変遷 ★ 「鐵斎翁書画寶墨」は、開発当初から、現在に至るまで、デザインは、ほぼ同じです。 違うのは、唯1点で、「国華第一」が、あるか?ないか?です。(左、「なし」、右「あり」) 「国華第一 」は、富岡鉄斎が注文した時には、ありましたので、オリジナルは、この「国華第一」があったということです。 しかし、1970年代の「上海墨庁出品」のものからは、「国華第一」がなくなっています。 文化大革命は、1965年〜ですが、1970年代前半のものまでの、唐墨の評価は、高く、「唐墨を買うなら、文革前のもの 」と言われていますが、実際には、1970年代前半までは、高良質の製品が出来ていたようです。 そのため、「鐵斎翁書画寶墨」の場合には、よく、「国華第一」がないものが良いと言われています。 上海墨廠が、事実上崩壊状態になった、1980年代前半から、この「国華第一」は、復活し、現在に至るまで、「国華第一」が付いています。 また、上海墨廠解散後、製造所によっては、「鐵斎翁寶墨」や「鐵斎翁書寶墨」といった風に、名称が違うものが出てきて、本家の「曹素功」は、これらは、バッタものなので、注意するようにと、注意書きを入れていた時代もあります。 ★ 墨の等級表示の変遷 ★ 上海墨廠統合前の高級油煙墨は、五石漆烟、超貢烟(超貢漆烟)、貢烟、頂烟の四等級に分けられていました。 しかし、上海墨廠に統合された際に、この四等級は、油煙一〇一、油煙一〇二、油煙一〇三、油煙一〇四に名称変更されています。 即ち、最上級の五石漆烟は、油煙一〇一になったわけですが、これは、かつての日本酒が、「特級」、「一級」、「二級」に分けられていたのと、同様に、品質の良さを保障したものではなく、油煙一〇四でも、「紫玉光」のような有名な墨があるのと同じだと思われます。 この等級表示は、上海墨廠解散以降は、双方が併用されているようですので、この表示からは、年代を想定するのは、難しそうです。 ★ あ・や・し・い私の「鐵斎翁書画寶墨」 ★ 私の「鐵斎翁書画寶墨」の特徴を上げてみましょう。 @ 製造元 : 胡開文 A デザイン : 「国華第一」は、「なし」 B 等級表示 : 「一〇一油煙」 まず、「国華第一」がありませんので、1970〜80年代のものの可能性が高いと思われますが、製造元が、「胡開文」で、上海墨廠のものではありませんので、上海墨廠が崩れていった際に、別れた墨廠の1つが、「胡開文」の商標を使って製造したものではないか?と思われます。 1980年代後半のものからは、「国華第一」が入っているものが多いようですので、1980年代前半のものではないか?と推測しています。 そして・・・・・何故か?、本来であれば、「油煙一〇一」と入れるところが、「一〇一油煙」と入っています。あやしいですね。(笑) 製造元が、1980年代以降少ない「胡開文」ということ、「一〇一油煙」を間違っている?こと、「国華第一」がないこと、を考えると、 @ 1980年代前半の上海墨廠崩壊時に、かつての胡開文の職人が、胡開文のブランドで作った墨。 A 日本人には、わからないだろうということで作ったバッタものの墨 のどちらかかと思いますが、後者かも?(笑) いずれにしても、中国は、1980年代に、「安かろう、悪かろう」に走ったこともあり、1980年代後半からの唐墨は、評価を下げています。 それは、墨を使う文化が衰退していった時期でもあり、高い品質の墨の需要が少なくなったという事情もあるのかもしれませんね。 ネットオークションでみても、高く売れる「鐵斎翁書画寶墨」もあれば、安いものもあります。それほど、多種多様な「鐵斎翁書画寶墨」が存在しているということなのでしょう。 こういった変遷を学んだ上で、「この唐墨は、どの時代のものだろう?」と思いを巡らすのも、又、おもしろいですね。 ★ 唐墨と和墨の大きさ違いは? ★ 墨の大きさは、中国も、日本も、大きさではなく、重さで、表します。 唐墨は、一丁ものが、約500gで、1/2の約250gが、2丁もの、1/4の約125gが、4丁もの、1/8の約63gが、8丁もの、1/16の約31gが、16丁ものと呼ばれます。 また、近年は、約30g=1両を使うことも多くなってきていて、1両は、16丁ものに該当します。 和墨は、15gを一丁型とし、30g=2丁型、45g=3丁型、75g=5丁型、120g=8丁型、150g=10丁型・・・・となっています。 和墨のサイズは、一丁型は、概ね、7〜7.5cm、2丁型は、8〜8.5cm、3丁型は、11cm程度、5丁型は、13〜13.5cm、10丁型が、18cm程度と覚えておいても、良さそうです。 重さの計算は、体積X1.2で、縦・横・高さを掛けて、1.2倍したものが、重さになります。 (記 : 2014年5月9日)
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