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小倉健作・明石焼の窯変壺

明石千尋窯(あかしせんじゅかま)、小倉健作、窯変壺「山と鳥」です。

















大きさは、口径:8cm、高さ:17.5cm、高台径:7cmほどで、共箱、栞付きです。

壺の首の部分に、「」を描き、窯変で、赤くなった部分と緑の部分に、金彩で、「」が描かれています。

赤と緑の何ともいえないグラデーションが見事な作品です。

作者の小倉さんは、兵庫県の明石焼(あかしやき)の伝統をくみながらも、独創的な感性と技法でモダンな陶芸作品を生みだしている方で、兵庫県文化賞はじめ、数々の賞を受賞されてる陶芸家です。

小倉さんの父親(小倉 千尋)も、明石焼を流れをくむ名工でした。

小倉健さんは、小さいころから、父の仕事を見て過ごし、一旦、家電メーカーへ就職していますが、休日に陶芸活動をしていて、入社8年目に、日展に初入選して自信を持ち、2年後に、退社し、陶芸活動に専念することになったそうです。

★ 明石焼とは ★

明石焼(あかしやき)は、兵庫県明石市を中心に焼かれる陶磁器で、元和年間(1615-24)に、明石城主小笠原忠政の御用窯が築かれ、戸田織部之助がこの窯で作陶し、その後は明石中谷山に移窯しましたが、これを、明石焼の由来といいます。

江戸時代中頃からは、明石藩の民窯として、三島や古清水風・京焼風の色絵陶器の影響を大きく受け、色絵の皿や碗などが多く焼かれました。

江戸時代後半ごろが最盛期で、そのころになると、古京焼風の色絵の土瓶や土鍋などの高級なものが増えていきました。当時のものには、明石・明石浦・明浦山・明石湊などの印が入っています。

江戸時代から、約300年の間生産され続けた明石焼も、明治年間には、交趾風の陶器が焼かれ、一時は海外にまで輸出されましたが、大正年間に至って衰微し、現存する窯は少なくなっています。

  

★ 作家 プロフィール ★

 小倉健 おぐら けん    明石千尋窯 、日展作家 。

1942年 明石市生まれ。

幼少期より陶芸家の父、故・小倉千尋氏に陶芸を学ぶ。

後に彫刻家・富永直樹氏に立体造形の指導を受ける。

1968年 日展初入選(以降14回入選。会友)。

2003年 兵庫県文化功労者表彰。

最終更新日 : 2015年9月3日

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