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長太郎焼(ちょうたろうやき)、3代有山流石作、黒薩摩の茶碗です。 大きさは、径:15cm、高さ:9cmほどで、紙共箱付きです。 黒薩摩独特の、窯変が出ていて、形も意図的に変化を持たせた面白い作品だと思います。 薩摩焼は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に、島津軍を率いた島津義弘が、連れて帰った朝鮮人の陶工を起源とするものが多い中、長太郎焼は、磯御庭焼の流れを汲むものの、明治に入って、黒薩摩の窯変に新境地を開いて出来た焼き物です。 この茶碗は、黒薩摩の豪快さが出ている作品だと思います。 ★ 長太郎焼とは ★ 長太郎焼(ちょうたろうやき)とは、鹿児島県鹿児島市と指宿市で焼かれている焼き物で、薩摩焼の島津家御庭焼(おにわやき)の系統を引き継ぐ焼き物です。 初代長太郎(有山長太郎)が、明治32年に、鹿児島市谷山の地に開窯しました。当初は、古薩摩・錦手の研究に没頭しますが、黒薩摩によって、新境地を開き、大正9年に、理想とする作品を焼きあげ、黒田清輝画伯によって「長太郎焼」と命名されました。 黒薩摩焼の代名詞的な存在になっている「黒千代香(くろじょか)」ですが、初代長太郎が、錦江湾に浮かぶ桜島をモデルにつくりました。 私の大学卒業記念でいただいた黒千代香(ながた窯) 初代が、昭和15年、69歳で亡くなってからは、二代目長太郎正夫、三代長太郎流石、四代長太郎長佑、清泉寺長太郎明宏、指宿長太郎禮石が、長太郎焼の焔を受けついでいます。 尚、二代目長太郎は、昭和27年に、指宿に移り住んで、指宿長太郎窯を開き、現在は、三代長太郎流石の子である指宿長太郎禮石が継いでいます。 また、鹿児島市谷山の長太郎本窯は、三代長太郎流石の長男、四代長太郎長佑が継承しています。 (記 : 2016年2月5日)
(記 : 2016年2月5日)
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