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種子島焼のビールカップ

種子島陶芸製種子島焼(たねがしまやき)のビールカップです。





 陶印「種」



栞に、「種子島陶芸」とありますが、文面から、種子島焼の窯元の1つである、種子島窯のもので、野口悦士さんの作品だと思います。(「当該ネットショッピングページ」参照)

大きさは、口径8.0cm、高さ9.5cmですので、ビールカップにしては、ちょっと小さ過ぎますので、鹿児島地方で飲まれている焼酎のお湯割りも意識した酒器ではないか?と思います。焼き締めのお品で、備前焼にも似ていますね。

種子島には、元々、能野焼(よきのやき)という焼き物があり、下の写真の登り窯で明治35年(1902年)まで焼かれていました。

 熊野焼窯跡

いつ頃からはじめられていたかは、いまだに不明ですが、17〜18世紀頃から始まったと言われています。

種子島は、砂鉄もたくさん取れていたので、土には鉄分が多量に含まれていました。そのため焼かれた陶器は男性的で、しかも素朴さもあり味わい深いものであったと言われています。

代表的な能野焼は、種子島開発総合センターに保存されています。

また、この能野焼窯跡は、昭和50年2月12日に西之表市の文化財に指定されています。

昭和46年2月、由緒ある伝統と正しい技法をもった陶工の中里隆氏を唐津より得て、新しく種子島窯が生まれました。能野焼の復活にも通じていますが、この際に、この焼き物を、小山富士夫氏が、種子島焼と命名しています。

新生種子島焼は、備前焼と同様に無釉の焼き締めで、熊野焼は、施釉のものが多かったので、別の焼き物とするのが適当かと思いますが、同じ土を使っていますので、所謂、「南蛮」の伝統を引き継いでいると言えるのではないか?と思います。

現在、種子島には、種子島窯、榕窯、葉山窯、住吉窯、一條陶房、六大窯、芙蓉窯、福元陶苑(熊野焼窯元)等、西之表市に9窯、中種子町に1窯、南種子町に1窯、種子島全体では11窯元があります。

 【作家 紹介】

 野口悦士 (のぐち えつじ)

 1975年 埼玉県生まれ
 1999年 慶應義塾大学総合政策学部を卒業
 1999年 種子島窯にてやきものを始める
 2006年 中里隆氏来窯と同時に師事
 2007年 アメリカ・コロラド州アンダーソンランチアートセンターにて研修
 2008年 初個展

 現在、鹿児島県種子島で作陶 

種子島焼の作品は、中々、オークションでも見かけませんので、小品になりましたが、しっかり、種子島焼の風情を感じさせるビールカップが手に入って、喜んでいます。
                                             (記 : 2010年11月22日)

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