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小林秀晴作・牛ノ戸焼の大皿

四代小林秀晴作・牛ノ戸焼(うしのとやき)の青白釉 大皿です。

牛ノ戸焼













直径約30cmの尺皿で、共箱付きです。

釉薬が厚くかかった、味わい深い一品で、四代小林秀晴の代表的な作風の大皿で、力作だと思います。

四代秀晴は、柳宗悦による民芸の思想に深く共鳴し、鳥取で民芸を広めようと帰郷した吉田璋也氏が、民芸の考えを説き、「これからの時代の民芸品を一緒に作らないか」とスカウトされ、吉田璋也氏の意見を取り入れながら試作品を作り、最初の窯出しをしたのが、1931年5月です。

この皿も、素朴な民芸調で、太く堅牢な牛ノ戸焼の特色をそのまま出している作品であり、牛ノ戸窯のギャラリーに飾ってある飾り皿と似ているなと思っています。

                 
                   牛ノ戸焼の代表作(ギャラリー展示品)

大変見栄えのする作品ですので、私の飾り棚でも、メインのところに飾りたいと思っています。

牛ノ戸焼(うしのとやき)は、鳥取県鳥取市河原町で焼かれている焼き物で、天保年間(1830-1844)に、金河藤七(かねかわとうしち)(鳥取県出身)によって作られていた牛ノ戸焼を、天保8年(1837)に、石州の人、島根県江津町の小林梅五郎(こばやしうめごろう)親子が継承し、牛ノ戸窯として、鳥取県河原町牛ノ戸に開窯しました。

後に、牛ノ戸窯は、二代 小林熊三郎(こばやしくまさぶろう)、三代目 小林秀之助(こばやしひでのすけ)が継承し、主に、日用陶器(水壷、徳利、摺鉢など)を製作していたのですが、次第に衰微し、四代秀晴の初期は、その維持も困難でした。

昭和6年(1931年)、吉田璋也、柳宗悦、バーナード・リーチ、河井寛次郎、濱田庄司らの激励、指導を受け、四代目の小林秀晴(こばやしひではる/明治34年-昭和54年)が、新作民芸に取り組みました。



民芸研究家である吉田璋也等の民芸活動家達の助言によって、以前から作り続けていた梅紋、伊羅保釉と黒釉白釉の掛け分けに加え、伊羅保釉薬を、緑釉に変えた食材が美しく映える作品が新たに加わりました。

今や、この緑釉と黒釉の作品は牛ノ戸の代表作と言えます。

 黒・緑釉掛け分け皿

その後、牛ノ戸窯は、轆轤の名手と云われた、五代 小林栄一(こばやしえいいち/大正3年−平成16年)に受け継がれ、現在の当主、六代 小林孝男(こばやしたかお/昭和26-)が、窯と伝統を守っています。






                           六代 小林 孝男 さん

伝統の梅紋作品は、シンプルで、良い物は作り続けると言う先代窯主達の意向によって、現在も暖かみのある牛ノ戸窯の作品として作り続けられています。

民芸運動時代にバーナード・リーチ指導によって作られた、下のコーヒーカップは、今でも人気が高いものです。



● 作家 プロフィール ●

四代 小林 秀晴 (こばやし ひではる)

明治34年 鳥取市にて出生
昭和 6年 民芸運動に取り組む
昭和54年 没                

吉田璋也を囲む工人たち。後列右から3人目が牛ノ戸窯の小林秀晴さん=1932年 

                         

 
                                         小林 秀晴 氏 
(昭和46年1月撮影)
尚、文、写真は、「真心堂HP」を参考にさせていただいています。
                                              (記 : 2011年8月1日)

追記 :

広島県安芸高田市八千代町の骨董店で入手した牛ノ戸焼通徳利(かよいとっくり)です。

牛ノ戸焼





土師ダムにお弁当を家族で食べに行った際に、偶然みつけた骨董店で手に入れたものです。

大きさは、高さ22cm程度、径も同じくらいだと思います。恐らく明治後期〜大正期の2代、3代の頃のたくさん作った徳利の1つだと思います。牛ノ戸焼は、民芸運動の影響で、上記の四代小林秀晴の時代から、民芸調の作品に変わっていますので、その前に作られた、やや粗雑な大量生産品が伝世したものでは?と思っています。

波佐見焼の牡丹徳利に似ていますが、高台に見える土は、磁土ではなく、陶土ですので、牛ノ戸焼だと思います。

母が、祖父が亡くなった時に、形見分けでもらった徳利と同じようでしたので、聞いてみたところ、昔は、お酒を買う際に、この徳利を酒屋にもっていって、お酒を入れてもらって、持ち帰ったそうです。こういった徳利を、通い徳利(かよいとっくり)と言います。(「徳利と盃の話」参照)

中国地方には、結構な数の牛ノ戸焼の通い徳利が、そうやって使われていたのでしょうね。

この徳利は、下の写真の通り、とにかく、雑然と品物が置いてあり、野外に野ざらし状態で、こんな状態で盗まれないのか?と心配したくなるようなところにありました。(丹波焼の通い徳利もありますね。)



しかも、牛ノ戸焼の徳利が、何本もあり、すべてが埃だらけ・・・・・(笑)

とにかく、何でもありの骨董屋さんで、矢立や煙草入れもありましたし、昔の氷掻き器等々・・・・・・

陶器では、場所柄、萩焼、備前焼等が多かったようですが、古伊万里もありましたよ。



今回は、素性に自信のある牛ノ戸焼を選びましたが、幾つか気になったものがあったので、よく調べて、素性がわかれば、また、お邪魔したいと思っています。

とにかく、人里離れた、こんな場所に、これだけのお宝?ゴミ?の山があるのには、びっくりしました。「富士屋」という古民具店です。一度、お出かけになってはいかがですか?



                                           (追記 : 2012年6月12日)

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