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京都在住の鎌田幸二(かまだ こうじ)作、油滴天目(ゆてきてんもく)のぐい呑み です。 大きさは、口径 約6.5cm、高さ 約3.5cm 程で、共布付きです。 実は、このぐい呑みは、6個組のうちの1つで、オークションの出品者が、1つずつ出品されていて、そのうちの1つを落札したものです。下の共箱も個別に出品されていましたが、お箱が確認出来ればいいと思って、手に入れませんでした。 6個組のぐい呑みの共箱 6個のぐい呑みのうち、3つが、窯変翠青天目、3つが、燿変油滴天目だったのですが、翠青天目のうち、一番小さいのを選びました。 燿変油滴天目ぐい呑み 私が、鎌田幸二さんの翠青天目を知ったのは、NHKの番組「器・夢工房」で、紹介されたからです。 耀変天目(ようへんてんもく)は、多くの焼き物を焼いているうちに、窯の一部分で、窯変が起こって、偶然出来るものです。本来は、窯変とするべきですが、光って見えるので、耀変としたり、曜変することがあります。 鎌田さんの場合には、窯のどの部分で、どういった条件で、窯変するのかを突き止めて、特殊な窯を作って、この耀変天目の再現に成功しています。 実は、お茶の世界では、耀変天目茶碗というのは、大変有名なもので、『曜変天目茶碗は、現在の中国福建省建陽市にあった建窯で作られたとされる。現存が確認されているものは世界でわずか4点(または3点)しかなく、そのすべてが日本にあり、3点が国宝、1点が重要文化財に指定されている。いずれも南宋時代の作とされるが、作者は不詳である。形状、大きさがいずれも酷似していることから、同一人物の作ではないか、とも言われる。 南宋のある時期、建窯で数えるほどわずかな曜変天目茶碗が焼かれ、それから二度と焼かれることは無く、なぜ日本にだけ存在し、焼かれた中国には残っていないのか、大きな謎として残っている。』というものです。 静嘉堂文庫美術館の稲葉(国宝) この曜変天目を再現しようと多くの人が挑戦しましたが、中々、うまくはいきませんでした。鎌田さんは、その再現に成功した数少ない人の一人ということになります。(追記参照 ) 現在は、油滴、銀漿、河南、翠青と呼ばれる天目を作られています。 鎌田さん作のぐい呑みいろいろ 私のぐい呑みは、油滴とも、翠青とも言えそうな天目ですが、黒釉にコバルトを掛けて翠青色を出した鎌田さんの十八番です。深く澄んだコバルトブルーの中に無数の油滴が拡がっていて、まさしく酒杯のなかの宇宙を見る思いがする作品です。末永く、大切にしたいと思っています。 【作家 プロフィール】 鎌田幸二 (かまだ こうじ) 京都市伏見区在住。 1948年 京都に生まれる 1968年 作陶を志し五条坂清水正氏の指導を受ける 1971年 京都府立陶工訓練校専攻科修了 同校指導員(京都府技師)となる 五条坂共同登窯「鐘鋳窯」にて天目の研究を始める 1973年 第20回日本伝統工芸展初入選 1975年 第3回日本陶芸展入選 1976年 日本工芸会正会員となる 1980年 京都高島屋にて個展 1982年 五条坂共同登窯休止の為自宅にガス炉を築窯 1984年 東京日本橋三越美術サロンにて個展 1987年 第16回日本工芸会近畿支部展にて京都府教育委員会委員長賞受賞 1988年 重要無形文化財「鉄釉陶器」伝承者養成研修会にて清水卯一氏の薫陶を受ける (記 : 2011年9月3日) 追記 : 曜変天目茶碗の復元に努力した人たちの作品を並べてみました。 曜変天目茶碗の復元に努力した人の一人、林恭介氏の作品です。 「黄瀬戸」技法を得意とし、数々の素晴らしい陶芸作品を制作してきた林恭助氏は、現代技術を駆使した独自の製法により、2001年、遂に曜変天目の再現に成功しました。林氏の作品は、故宮博物院(中国・北京)にも収蔵されております。 こちらは、京都の陶芸家、桶谷寧(おけたに やすし)さんの作品です。 桶谷さんによると、今でも「数百個に1個しか取れない」のだそうです。陶芸家の執念と、美への挑戦の賜物ですね。 こちらは、有田焼の藤井錦彩(ふじい きんさい)さんの作品ですが、ちょっと似ていませんね。 ちなみに、お値段は、120万円ということです。高台が白いので、有田磁土で焼いているのかも? (追記 : 2011年9月4日) 追記 2: 耀変天目の復元に成功した久田重義さんの作品で、朱天目のぐい呑みを手に入れました。「久田重義作、朱天目のぐい呑み」をご参照ください。 最終更新日 : 2015年7月22日
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