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紀太理平作・理平焼の盃

紀太理平(きた りへい)作、理平焼(りへいやき)の小猪口盃です。

理平焼





恐らく、14代紀太理平(きた・りへい)(洋子)さんの作品だと思います。

共箱は、なかったのですが、破風「」の印の他に、「理平焼」の印が入っていますが、「理平」の印を使うようになったのは、14代からということですので、14代のものでは?と思います。

藤色の器肌 も、理平焼の特徴を出していますし、大きさが、径4.3cm 高さ3cmの小品ながら、お庭焼だった理平焼の雰囲気が出ている良い作品だと思い購入しました。

理平焼(りへいやき)は、香川県高松市で焼かれている焼き物で、讃岐高松藩の藩祖松平頼重公が、京都の陶工・森島作兵衛重利を、招いて焼かせたお庭焼です。京焼風の茶陶を焼きます。別名に、高松焼、または御林焼、利兵衛焼、石清尾焼、稲荷山焼などが知られます。

正保4年、名を紀太理兵重利と改め、高松藩別邸栗林荘の北に窯を築きます。以降、紀太家子孫が代々「理兵衛」を襲名しており、3代理兵衛重治以降は、破風「」の印を押すようになりました。


                     五代理兵衛の頃と思われる刻印

9代理兵衛の時、明治維新で廃藩置県となったため廃窯になりましたが、11代が京都に出て高橋道八に学び、名も紀太理平と改め、明治33年に、現在地の栗林公園北門前に、「理平焼」として再興し、現在14代紀太理平(洋子)まで続いています。

平成6年(1994)、松平頼武(高松松平家第14代当主)より「理平」の字を賜り、14代より「理平」の印も用いています。

理平焼の特徴は、土の性質によって生じる、藤色の器肌にあります。また、京焼の流れを汲む蒔絵の技法を用いた作品も試みられています。

 ★ 作家紹介 ★

13代 紀太理平(克美)  1942年〜1991年

14代 紀太理平(洋子)  1951年〜
      夫の13代理平が、40歳の時に急逝のため、14代目を
             襲名し、理平焼を継承。

      平成23年度の香川県芸術文化選奨受賞




                                              (記 : 2011年11月28日)
追記 :

2013年10月21日に、香川県高松市の理平窯へ行ったのですが、あいにくご不在のようで、作品を見ることはできませんでした。記念に玄関で、写真を1枚撮らせていただきました。



栗林公園の北門のところにあり、お城の石垣も近くにありましたので、昔は、この山を利用して焼いていたんだろうなと思った次第です。

工房と思われる建物からは、灯油炉からと思われる煙突が出ていましたので、続けられているのだと思われます。
                                          (追記 : 2013年10月23日)

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