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山中保蔵作?、近江下田焼(おうみ しもだやき)の徳利と猪口です。 近江下田焼の、大徳利、小徳利、猪口2個のセットです。大徳利は、高さ:約29.7cm、最大胴まわり:約36.0cm、重量が、約926gもあります。小徳利が、高さ:約13.0cm、最大胴まわり:約20.0cm、猪口が、径:4.5cm、高さ:4.0cmで、栞付きです。 実は、この徳利を見た時に、栞に「下田窯」とあるにも関わらず、八田焼(はったやき)ではないか?と思いました。デザインが、八田焼のものと同じだったからですが、調べてみると、かつて、下田焼と八田焼は、兄弟窯とも言われて、同じデザインのものを作っていたということで、ようやく納得しました。(笑) また、再興前の下田焼の展示品の写真に、私の手に入れたものと同じぐい呑みも写っていますので、時代的には、昭和で、山中保蔵さんの作品ではないか?と思います。 最近の下田焼は、民芸調の普段に使える器が多く、しかも、今時、こんな大徳利を作っても売れないでしょうね。(笑) 下田焼(しもだやき)は、滋賀県甲西町下田(現湖南市)で焼かれている焼き物で、江戸中期の宝暦年間(1751〜1764)に、下田村の村人の喜多安兵衛が、鏡山(現、竜王町)で発見した質の高い白い土を、灯明具や油差しなどの日用品を製造したのが始まりだといわれています。 最盛期の幕末から明治前期には、共用登窯が3基あり、窯元が10数戸あったといわれています。その後、近隣の信楽で生産される安価な製品に押されて衰微し、やがて窯元は1軒となりました。 1989年(平成元年)に、最後に残った陶工山中保蔵さんが死亡すると、廃絶することになりました。しかし、平成6年に、山中さんの弟子の小迫一(こさこ はじめ)さん(1963年大津市生まれ)が、甲西町(当時)の要請を受けて復興し、町は、再興窯に合わせて、町内の他の伝統工芸も守り育てるべく、伝統工芸会館を設備しました。 現在は、小迫一さんが、奥様の千春さんと共に、湖南市伝統工芸会館内にある陶房で作陶されています。 小迫一・千春夫婦 湖南市伝統工芸会館内にある陶房と、展示品の数々。 (私のものと同じ徳利も) 下田焼は、藍色をした呉須の鮮かな色合いとシンプルな柄が特徴で、素朴で飽きのこない肌合いとデザインが人気で、民芸調の普段に使える器が多く作られています。 これは、民芸運動の折、この窯元にも、バーナード・リーチが訪れ、その際、下田焼は、バーナード・リーチの作風を取り入れて、時代に即応していったからだといわれています。 尚、同じ滋賀県に、八田焼(はったやき)という焼き物があり(現在は、廃窯しているようです。)、かつては、下田焼と、兄弟窯と呼ばれて、昔は、そっくりの陶器を焼いていたそうです。八田焼に見られるデザインは、私が手に入れた下田焼のデザインと同一で、愛らしくて素敵ですね。 実は、私の手に入れた下田焼の徳利の大きい方は、高さが、30cmもあります。 こんな大徳利、今では、使われることはありませんよね。 通常の花瓶よりも大きな大きさですから、こんな大徳利、どう使うんだろう?と思っていましたが、花入れとして使われている写真を見つけました。こんな使い方が出来るなんて、粋なものですね。 (記 : 2012年2月7日)
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