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五十嵐信平作・古曽部焼のぐい呑み

4代五十嵐信平(いがらし しんぺい)?作、古曽部焼(こそべやき)のぐい呑みです。

古曽部焼









作風から、恐らく4代五十嵐信平の作品だと思いますので、明治中期のものと思われます。大きさは、径:
8.0cm、高さ:3.7cm程で、大きさから判断すると、煎茶茶碗か、ぐい呑みでしょうが、当時は、ぐい呑みという概念がありませんので、恐らく、煎茶茶碗か盃として作られたものでしょう。私は、ぐい呑みとして使いたいと思います。

古曽部焼には、ほとんどのものに陶印があり、初代〜5代まで、微妙に違った印を使用しています。印をみることで、誰の作品かがわかるというわけですが、現在では、初代〜3代までの作品は少なく、価値が高いと言われています。
 
(引用文献は、【杉本捷雄:古曾部焼研究、東京、學藝書院、20-21頁、昭和11年12月25日発行 定価1圓90銭】です。)

4代五十嵐信平の作品と判断する根拠は、下のような作品(「古曽部焼展示室」参照)が、4代信平の作品として残っていることと、印の「曽」の冠が下開きではなく、上開きになっていること、高台を見ると、土質が、現代のものとは違うことなどの根拠から、明治期のものだと判断したわけですが、当たっているかな?(笑)ただ、出品者からも、「時代は、保証します。」とありますから、大丈夫だとは思いますが・・・・・・

甘手のジカンが全体に有りますが、経年のもので、ジカンは、釉薬の下で留まっています。(「ジカン」 とは、陶磁器全般に生じる現象ですが、生まれ付きのニュウやカンニュウ等と違い、長い年月を経る間に四季や朝夕の温度差等から素地と釉薬の収縮率の違いによって、自然に生じるカンニュウの事を表す言葉です。(「焼き物用語キズ・直し編)参照))


                     4代信平作 霊芝文盃 

古曽部焼
(こそべやき)は、摂津国古曽部(大阪府高槻市古曽部町)で産した陶器です。 遠州七窯(なながま)の一つ(注1)で、開窯は、桃山末期から江戸初期とされていますが、寛永年間(1624年ー1643年)以降、江戸中期に一度廃窯していましたが、1790(寛政2)年頃に、京都で作陶技術を学んだ初代五十嵐新平(文政12年(1829年)没)が、現在の高槻市古曽部町に登り窯を開いて、再興したと言われています。

古曽部印いろいろその後、二代新平(1791-1851)、三代信平(1833-1882)、四代信平(1851-1918)、五代栄二郎まで、約120年に渡り、生活陶器、茶陶などを焼いていましたが、明治末期、5代目栄次郎の時(4代信平在世中)に、再び廃窯になっています。

古曽部 」の印を用い、 三島手、絵唐津、織部、安南、高麗などの写しのほか、特色ある赤絵も作りました。

古曽部焼の作風は、初代五十嵐新平から、五代目栄次郎まで、少しずつ異なっています。しかし、いずれも渋い彩色、流麗・軽妙な画風、お国焼らしい素朴な造形、それに京焼の影響を受けた洒脱な精神が混然一体となり、独特の古曽部焼の境地を形成しました。

現在は、五十嵐家の前に、「古曽部窯跡」の石碑しか残っておりませんが、石碑わきに市の教育委員会の看板があり、古曽部焼の説明がなされています。

 窯跡の石碑



 人気の高かった海老絵小皿

廃窯していた古曽部焼ですが、昭和に入って、紀州焼葵窯の初代寒川栖豊の末子の寒川義崇(さむかわ ぎしゅう)氏(1951年〜)が、1979年に、こうした古曽部焼の復興を志して当地に登り窯を築づき、古曽部焼「義崇窯」として再興されています。古曽部の特徴である三島手絵高麗写など、多種多様に焼かれた古作を通じて、独自の力強く格調高い作風を確立されております。

義崇窯の場合、作者作品には、箱と作品に 「義崇」 の銘が入っている物が、本人作で 、無い物が工房品だそうです。

尚、Wikipediaや、高槻市のHPでは、義崇窯を古曽部焼の再興窯としては、今のところ、取り扱っていないようですが、ヤフーオークション等では、古曽部焼として取り扱われています。

 : 遠州七窯の七つの産地は、高取焼(筑前)、志戸呂焼(遠江:遠州)、膳所焼(近江)、 朝日焼(山城)、赤膚焼(大和)、古曽部焼(摂津)、上野焼(豊前)である。(古曽部では なく、伊賀を入れて七窯とする説もある)。
                                                (記 : 2012年2月13日)

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