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意外な、お宝があるものです。画像と共に、うんちくも、お楽しみください。 

桃井香子作・赤穂雲火焼の葉皿

赤穂雲火焼(あこううんかやき)瀬戸内窯桃井香子(ももい・よしこ)作の葉皿です。









 

大きさは、20cmX18cmほどで、自然の葉を押し型に使った葉皿で、共箱付きです。赤穂雲火焼は、燃える夕焼空を連想させるような作品が多いのですが、この作品は、少しあかね色の部分が少ないようですね。

赤穂雲火焼(あこううんかやき)は、兵庫県赤穂市御崎で焼かれている焼き物で、江戸後期に誕生し、明治後期に衰退した赤穂の伝統陶器で、赤穂出身の鋳物師・大嶋黄谷(おおしま・こうこく、1821―1904)が創設しました。東京の浅草周辺で作られていたとされる今戸焼の陶工・作根弁次郎が、嘉永元(1848)年から翌年にかけて赤穂に滞在した際、陶芸の技術を学び、始めたとされています。

釉薬(ゆうやく)を使わず、窯に入れる際、わらや米ぬか、炭などで囲んで焼き上げることで、独特の色彩を付けます。夕焼け空を連想させる、あかね色や白、黒の不定形の模様が特徴です。この技法は嘉永5(1852)年に完成し、黄谷は「雲火(うんか)焼」と名付けて世に売り出しました。

しかし、黄谷は、弟子に技法を伝えなかったため、雲火焼は、一代で途絶え、長らく幻の焼き物≠ニなっていました。

昭和54(1979)年ごろ、桃井香子(ももいよしこ)さんは、雲火焼の復元に取り組む造園業、長棟州彦(ながむねくにひこ)さん=同市塩屋=と出会い、自らもその魅力に引き込まれました。「美しい模様を再現したい」との一念から、2人で試行錯誤を繰り返し、さまざまな苦心と試行錯誤の末、昭和57(1982)年にようやく、雲火焼らしい作品が完成し、再興に成功しました。

 桃井香子さん

その後も新たな技術革新と創意工夫が重ねられ、現代によみがえった雲火焼は、今では、赤穂の新しい郷土工芸品として親しまれています。平成5(1993)年には、兵庫県の伝統工芸品に指定されています。

 赤穂雲火焼いろいろ

これまで常設展示する施設がなかったため、桃井さんが「常に身近に感じる存在に」と、使われていなかった親族が経営する会社の寮を改装して、2011年、「雲火焼展示館 桃井ミュージアム」としてとして生まれ変わらせました。

建物は、同市御崎にあり、2階建てで、2人の作品約200点と、収集した黄谷の約20点を展示しています。瀬戸内海を臨む眺望は絶好で、風光明媚な環境の中で郷土の伝統工芸品をじっくりと鑑賞することができます。また、「一度だけでなく、繰り返し来館してほしい」と、入館料は無料となっています。

 桃井ミュージアム

現在も、桃井香子さんと、長棟州彦さんの2人の作家で、瀬戸内窯を守っておられますが、長棟州彦さんは、水琴窟(すいきんくつ)の研究にも没頭し、ついに、地上でも、室内でも聞ける長棟式水琴窟を開発して、製品化し、その功績が認められ兵庫県技能顕功賞を受賞しています。(水琴窟は、こちらのU−TUBEを参照ください。)

注 : 水琴窟とは、蹲踞前部の海の底に、小さな穴を開けた甕(かめ)を伏せて埋める構造と、手を洗ったお湯が穴から水滴となって甕底に溜まった水面に落ち、甕中で共鳴するその音色が琴に似ていることから「水琴窟」と呼ばれるようになりました。                                      長棟州彦さん       

★ 作家 プロフィール ★

 桃井 香子 (ももい よしこ) 

昭和18年  兵庫県に生まれる
昭和62年  第1回雲火焼研究発表会
平成2年   第7回田部美術館「茶の湯の造形展」入選
以降      入選多数

                                                (記 : 2012年3月8日)

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