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人間国宝の金城次郎(きんじょう じろう)作?、壺屋焼(つぼややき)の一輪指しです。 沖縄では、徳利を使いませんので、恐らく、徳利ではなく、一輪指しだと思います。大きさは、径:8cm、高さ:16cmです。箱等がないので、はっきりとはわからないのですが、陶印から、金城次郎のものではないか?と推察しています。 魚が2匹描いてありますが、1匹には、釉薬が流れて、魚文に掛かっています。釉薬が流れていない方を、表としましたが、金城次郎が意識していたかは、不明です。 銘印の「次」は、確かに、金城次郎のものとそっくりですし、高台付近の土質や、不純物を含む土の質が、かなり悪いように思いますので、ここまでしての贋作はないと思うのですが、確証があるわけではありません。 実は、この作品は、家内が、昨年亡くなった義母の実家から、鉛筆立てになっていたこの一輪指しを持って帰ってきたものです。 「これ、壺屋焼じゃない?」というので、「どれどれ・・・・」と・・・・・、陶印を見て、びっくり!、もしかして、これは、金城次郎の作品ではないかぁ〜〜〜〜???? 家内の兄が、沖縄に勤めていたことがあるので、その際に、買ったか?、いただいたものではないか?ということです。 作品としては、結構、時代がありそうで、高台辺りの感じや、釉薬が溶けすぎて、流れている等のことなどから、金城次郎の初期の作品ではないか?と推察しています。 線彫り技法から生まれる魚文は、まさに金城次郎のタッチですし、口に緑釉を掛ける手法も、金城次郎の手法ですし、共箱を付けるようになったのは、1970年代以降、かなり有名になってからのことのようで、当初は、箱書きなしだったそうですので、金城次郎が、まだ若かった頃のものではないか?と思っています。(共箱を付ける習慣がなかったことは、「壷屋焼の小壷 追記3」をご参照ください。) それにしても、鉛筆立てになっていたこの作品が、私のような、多少でも焼き物の知識のある人に、見てもらって、陽の目を浴びれることになるのか?、果たして、私の見る目がなくて、贋作だったのか?、鑑定してもらえるのであれば、鑑定してもらいたいものですね。(笑) 金城次郎は、13歳で沖縄の名陶工、新垣栄徳の製陶所へ入所し、民芸運動家の浜田庄司らの指導を受け、素朴で明朗な琉球陶器を制作しました。1985年に、沖縄県初めての人間国宝に認定され、2004年、93歳で、亡くなるまで、線彫り技法から生まれる魚文や海老文など、力強さと躍動感に溢れた、金城次郎の真骨頂とも言えるものを作製しました。 作品製作中の金城次郎氏 ★ 作家 プロフィール ★ 金城 次郎 (きんじょう じろう) 1912年12月3日 沖縄県那覇市に生まれる。 1924年 新垣栄徳の製陶所で陶器見習工として働く 1927年 浜田庄司初来島、その後、金城らを指導。 1946年1月 壺屋に仕事場を持ち、独立。 1956年 第30回国展にて新人賞受賞。 1972年10月 読谷村に移動し、窯を築く。 1981年 勲六等瑞宝章受賞 1985年 重要無形文化財技術保持者(人間国宝) に認定される。 昭和60年度沖縄県功労章受賞。 1993年 勲四等瑞宝章受賞 2004年12月24日 死去 享年92歳 (記 : 2012年4月15日)
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