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内原野焼(うちはらのやき)、陽和工房、西邨 滋(にしむら しげる)作、灰釉櫛目角皿です。 大きさは、22cmX22cmX高さ6cmほどの、櫛目の入った、白っぽい灰釉の掛かった角皿で、「滋」の掻き陶印があり、共箱付きです。 西邨滋さんは、大学を卒業後、1年間の大谷焼での修行の後、斜陽になっていた内原野焼の復興を願って、尽力されていた、安芸市出身の京都市立美術大学(現、京都市立芸術大学)の学長だった長崎太郎氏に従って内原野へやってきた、同大学の卒業生の一人で、しばらくは、故吉村雄治さんの援助なくてはやっていけなかったそうですが、苦労の甲斐があって、2004年、卓越した技能を持つ「現代の名工」として、厚生労働大臣表彰を受賞されました。 作品には、無釉の焼き〆ものが多いようですが、飴色の鉄釉、白い灰釉なども使われているようですので、この皿も、代表的な内原野焼の1つなのではないか?と思います。 内原野焼(うちはらのやき)は、高知県安芸市にて焼かれる陶器で、安芸市の北部、内原野において、文政12年(1829年)頃、土佐藩の家老五藤主計が、京都から陶工を招き、良質の粘土を利用した陶芸を地元の人々に伝習していったのが始まりといわれています。 瓶、擂り鉢、片口、とっくり、植木鉢、手洗い鉢などの日用雑器などが、昭和の初期頃までは、細々と作られていましたが、第二次世界大戦後、急速に衰退していきました。 風前の灯火だった内原野焼は、安芸市出身の京都市立美術大学(現、京都市立芸術大学)の学長だった長崎太郎氏と、故吉村雄治氏との尽力で、昭和44年頃、復興しました。復興を支えたのは、同大学の卒業生達で、陽和工房房主、西邨 滋さんもその中の一人です。 現在は、陽和工房、福留窯、野村窯、原峰窯の4軒の窯元が存在しています。 内原野焼の特徴は、原料の粘土に鉄やマンガンを多く含むため、器肌が肌理細かく、黒や茶色の釉薬を用いるため、重厚な面持ちをしています。無釉の焼き締めのほか、飴色の鉄釉、白い灰釉、緑釉などが使われています。 陽和工房は、昭和50年に、西邨滋さんと、井内芳樹さんによって設立された工房で、現在は、息子さんの西邨 出(にしむら いづる)さんや、他の作家さんとで、運営されています。 内原野陶芸館は、平成11年4月1日にオープンし、いつでも気軽に手びねりや絵付け によるオリジナルな陶器を作る事が出来ます。 また、毎年11月には、併設の登り窯を使った、土と炎の祭典「手づくり登り窯フェスタ」が開催されています。 内原野陶芸館 内部では作品も販売されている。 併設の登り窯 登り窯 尚、陽和工房には、全長20m,幅7m,6房からなる、江戸後期(1830-1867)の数少ない連房式登り窯があり、登録有形文化財(建造物)として、保存されています。 (右の写真参照) 上の登り窯の画像は、内原野陶芸館に併設された、同じ形式を持った新設の登り窯です。 ★ 作家 プロフィール ★ 西邨 滋(にしむら しげる) 昭和18年 滋賀県近江八幡市に生まれる。 昭和43年 京都市立美術大学(現:京都芸術大学)工芸科 陶磁器専攻 卒 卒業後、徳島県鳴門市の大谷焼で、修行。 昭和44年 高知県安芸市内原野に入る 昭和50年 陽和工房設立 平成16年 「現代の名工」受賞 日本工芸会正会員、高知県展無鑑査 「生活雑器が主流の内原野焼は、人の生活とともに変化する。その変化する内原野焼の、変わらない伝統って何だろうって。そのなかで、専門家だけじゃなく、みんながわかる『いいもの』を創りたい。」 (記 : 2012年5月3日)
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