旅するところ、焼き物・骨董あり! <<<焼き物・骨董情報サイト>>>
第14代沈壽官作・薩摩焼(苗代川焼)の白薩摩ぐい呑みです。 「壽官」印 大きさは、直径 約 6.5cm × 高さ約 5cmで、共箱、栞付きです。 かつて、薩摩焼には、ぐい呑みが少ないと話していましたが、そのぐい呑み、しかも、白薩摩のお品が出てきて、しかも、それが、薩摩焼を代表する作家の沈壽官さんの作品ということで、入手できて、うれしく思っています。 図柄は、「菊と蝶」で、白薩摩独特の白地の貫入(かんにゅう)の入り方、手描きされた色絵、共に素晴らしく、色絵薩摩の名手の14代らしい作品かと思います。 沈壽官作の白薩摩のぐい呑みは、ネットで探しても、多くを見ることができません。これは、鹿児島では、日本酒を飲む習慣がないからだと私は思っています。珍しいものが手に入りましたので、大切にしたいと思っています。 薩摩焼は、慶長4年(1599)、秀吉の朝鮮出兵の際、連れてきた陶工・朴平意が串木野窯を開き、そこから、薩摩藩の各地で発展したものの総称ですが、現在は、苗代川系、龍門司系、堅野系だけが、存続しているといわれています。(薩摩焼の歴史については、「鮫島佐太郎作・苗代川焼の花入れ」をご参照ください。) ですから、薩摩藩において開窯された焼き物のすべての系列の陶祖は、朴平意ということになり、宮崎県の小松原焼(都城→宮崎市)でも、15代田中丹山さんは、陶祖を朴平意としているようです。 朝鮮から連れてこられた約80人の陶工たちのうち、約40名が、故郷の風景に似ていることから、苗代川(現・日置市東市来町美山)に窯を開いたといいます。この苗代川系の陶工たちは、上陸以来江戸時代の終わりまで、故国を忘れることなく、言葉も服装も朝鮮であることを貫ぬきつづけました。 そのため、現在も東市来町美山は、独特の風俗を持った陶里となり、400年以上続く、名門・沈壽官窯(ちん じゅかんかま)も、この地にあります。14代当主は、司馬遼太郎の『故郷忘じがたく候』の主人公でも知られ、色絵薩摩の担い手です ここで、薩摩焼を代表する窯元「沈壽官窯(ちんじゅかんかま)」についてですが、沈壽官窯の初代は、島津家が連行した80人の陶工の中の一人で、名を沈当吉と言いました。串木野の島平に着船後、苗代川に開窯し、3代が、藩主より「陶一」の名を授かり、以来、代々島津家御用の器を焼くこととなりました。 幕末には、天才と称された12代が、1873(明治6)年のウィーン万国博覧会に出品し、その作品が好評を博したことはあまりにも有名な話で、「沈壽官窯」の名を内外に知らしめました。 その後、廃藩置県に伴って藩営焼所が廃止されましたが、12代は私財を投じて工場を引きつぐなど、苗代川再興に尽力し、近代薩摩焼を確立しました。 そして、14代は、司馬遼太郎の『故郷忘れじがたく候』で主人公として描かれ、平成元年には、天皇陛下から日本人初の大韓民国名誉総領事に承認され、そのため、邸内に韓国領事館が設けられています。 現在は、14代存命中の平成11年に、15代(大迫 一輝)が沈壽官を襲名し、伝統的な白薩摩、黒薩摩の製作を中心に、現代の生活をより豊かに彩る器等、当代の個性的な作品も多く作られ、茶道具から日用品まで幅広く、品質の高い作品を心掛けていらっしゃいます。 また、沈寿官窯では、初代からの作品を展示した収蔵庫も見学できるようです。 今年は、鹿児島の窯元巡りを計画していますので、その際には、是非、訪ねてみたいと思っています。 ★ 作家 プロフィール ★ 第14代 沈壽官(ちんじゅかん) 本名:大迫 恵吉(おおさこ けいきち) 大正15年12月3日、鹿児島生まれ 昭和39年4月十四代沈壽官襲名。 白薩摩による金襴手や透彫、黒薩摩の作品など幅広く手がける。 1989年 国内初の大韓民国名誉総領事 就任、日韓交流につとめる。 1999年 大韓民国銀冠文化勲章 受賞 2000年 母校早稲田大学より芸術功労賞 受賞 2003年 大韓民国国済州道国際自由都市名誉弘報大使 就任 (記 : 2013年2月24日)
Copyright (C) ともさんの焼き物・骨董紀行 All Rights Reserved