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10代目、成田勝人作、一勝地焼(いっしょうちやき)の抹茶碗です。 大きさは、径:11.0cm、高さ:7cmで、共箱、栞付きです。「一勝地」の銘が入っています。 一勝地焼は、中々、市場に出てこない焼き物で、ようやくゲットすることが出来ました。 「飴色地に藤色流し」と形容される、一勝地焼の定番の釉薬を使った作品です。飴釉に、白い藁灰釉をちょっと掛けて、アクセントにしています。 一勝地焼は、戦後、再興するも、再度、現在は、廃窯になっており、新たな作品がないだけに、貴重なものが手に入ったと喜んでいます。 一勝地焼(いっしょうちやき)は、熊本県球磨郡球磨村一勝地で焼かれていた焼き物で、安永5年(1776年)に、相良(さがら)藩(現在の熊本県人吉市)藩士・右田伝八(みぎたでんぱち)が江戸で陶法を学んで帰り、人吉の城本(しろもと)で窯を開き、薩摩焼の龍門司焼の名工、川原芳工(ほうこう)を招いて指導を仰ぎ、その後、一勝地に移住して窯を開いたのが始まりといわれています。 当時から、相良藩の御用窯として高い格式を誇っており、一勝地焼は、ほかの焼き物に比べかなりの高温(約1400〜1500度)で焼くのが特徴です。藁灰の純白が溶け込むように流れ出て、「あめ色に藤色流し」といわれ、独自の色を出しています。 藁灰釉が溶け込んでいる小皿 しかしながら、明治の中頃に廃窯となり、昭和10年頃になって、9代右田克英らによって再興されたものの9代が逝去し、再び中絶、昭和32年に10代目成田勝人(なりたかつと)さんが、継承し、昭和46年に新窯を設けることによって、一勝地焼が、再興されました。 窯出しの様子(出展:熊日写真ライブラリー) しかし、成田勝人さんが、引退、没後、後継者がおらず、現在は再び、廃窯になっています。 焼かれているのは、食器、茶器や花瓶を始め、球磨焼酎独自の酒器「そらぎゅう」なども作られていました。 駒のような酒器が、「そらきゅう」 (記 : 2013年5月22日)
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