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日野瑞雲作・萬祥山焼の香合

11代日野瑞雲作・萬祥山焼(まんしょうざんやき)の伊羅保釉香合です。













大きさは、幅:3.5cm、長さ:5.5cm、高さ:4cmほどの伊羅保釉の香合で、共箱付きです。

萬祥山焼は、出雲楽山焼や、布志名焼の影響を受けていますので、それらの焼き物でみられる伊羅保釉の香合で、打ち出の小槌をデザインしたもののようです。

箱には、「出雲」の箱書きと、「萬祥山」の印があり、、陶印は、「瑞雲」のようですので、11代日野瑞雲さんの作品ではないか?と思っています。

山陰地方には、小さな窯場がたくさんありますが、「石州瓦」と呼ばれる日本の3大瓦産地の1つですので、この地方には、豊富な陶土があることが、窯業に向いていたものと思われます。

小品ではありますが、萬祥山焼の代表的な釉である伊羅保釉の作品が手に入って、喜んでいます。

★ 萬祥山焼とは ★

萬祥山焼(まんしょうざんやき)は、島根県出雲市大津町で焼かれている焼き物で、明治5年頃、日野家の8代源左衛門が、地元の豊富な粘土を使用して窯を開いたのが始まりとされています。

開窯当時は、来原焼と呼ばれていましたが、後に、大津町の森広操軒の命名で、「萬祥山」と呼ばれるようになったようです。

当初は、日用用品を焼いていましたが、11代義長(瑞雲)の時代になって、茶道具類が主体になりましたが、酒器、花器など一般陶器も製作していて、皇室に御抹茶器や花瓶などを献納しています。

萬祥山焼は、伊羅保釉青銅釉を特徴としていますが、昭和51年に瑞雲さんが亡くなり、現在は、13代日野勁甫さんが、窯を継承していらっしゃいますが、伝統をふまえ、新しき時代に調和した釉薬作陶に探究、精励しつつ作品を生み出しています。




                             (画像出典:萬祥山窯)

★ 窯元 プロフィール ★

 十三代 日野 勁甫

昭和15年  島根県大津町に生まれる

昭和30年  江津工業 窯業科卒業

昭和31年  京都で京焼を学ぶ

昭和36年  帰郷

昭和51年  瑞雲死去。13代目として、窯を継承。

                                                (記 : 2014年3月22日)

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