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川嵜和楽作・黒楽ぐい呑み

川嵜和楽(川崎和楽)作・黒楽ぐい呑みです。

 







大きさは、径:4.5cm、高さ:5.5cm程度で、共箱付きです。恐らく、7代和楽の作品だと思います。

黒楽釉が、どっぷりと、高台内まで塗られていて、豪快な感じがします。また、楽焼独特の手捻りでの成形で、1品1品同じものはなく、これまで、楽焼のぐい呑みには、中々、出会うことがなく、自作品で、楽焼について、説明をさせていただいていましたが、ようやくプロの作品が手に入って、喜んでいます。(「友重浩泉作・黒楽ぐい呑み」参照)

★ 楽焼とは ★

楽焼(らくやき)とは、一般的に電動轆轤や、足で蹴って回す蹴轆轤(けろくろ)を使用せず、手とへらだけで成形する「手捏ね」(てづくね)と呼ばれる方法で成形した後、750℃〜1,100℃で焼成した、軟質施釉陶器です。

天正(1573-1592)初期、京都の瓦職人だった長次郎が、千利休の指導により、聚楽第を建造する際に使用された土を使って焼いた「聚楽焼」(じゅらくやき)が始まりとされています。

釉薬により、赤楽黒楽白楽などがあり、二代常慶が豊臣秀吉より、「」の印を下賜されてから、家号を「」としました。

楽焼は、1つ1つを轆轤を使わず、手の感触だけで作っていきます。竹へらや、時には、釘を使って、模様を付けることもあります。

また、焼き上げも、1品、1品、鞘にいれて、右画像のような、小規模な桶窯といわれる穴窯で、1個ずつ丁寧に焼いていきます。

また、通常は、素焼きをせずに、生掛けといって、乾燥させた作品に、直接、釉薬を掛けて焼成します。

和楽窯で使われている窯が、下の窯ですが、1度に5つくらいしか焼けないそうです。この窯には、内窯があって、鞘の代わりになっているようです。

 
              和楽窯の窯(画像出典:京の匠)

楽焼には、楽家系統による作品と、それ以外の作とがありますが、比較的に、温度が低くても焼成でき、茶の湯に使う楽茶碗等の、高級茶道具の側面と、轆轤技術も不要なことから、多くの陶芸の初心者も楽しんでおり、素人の趣味のための手軽な焼き物という側面を、併せ持ちます。

ですから、私が、七輪陶芸で焼いた楽焼も、立派に、「楽焼」と呼んでいいということになりますね。(笑)

★ 川嵜和楽(川崎和楽) ★

川嵜和楽(川崎和楽)は、京都府の京都東山、八坂神社のすぐ南に位置し、江戸時代後期・文政年間に創業した老舗の窯元です。

もともとは、「短冊家」といい、古くから八坂神社門前において門前茶屋を営んでいました。文政年間、当主の七左衛門は、趣味から楽焼を始め、2 代目がそれを大成して、茶屋をたたんで、楽焼の「短冊家」が誕生しました。

短冊屋は、江戸時代から鑑賞用に栽培されていた園芸品種の万年青(おもと)の鉢植えに使われる「万年青鉢」が好評で、「万年青鉢の短冊家」と呼ばれるほど評価が高かったといいます。

5代目の時代の大正7年に、東郷平八郎元帥が店を訪れた際、「和楽 」という名前を賜ってからは、屋号を「和楽」に改めましたが、以降も人気を博した万年青鉢だけは「短冊家」の屋号をそのまま引き継いでいるそうです。

現在は、7代目和楽さんと、次期8代目当主川嵜基生さんが、茶道に適する楽焼の窯元としてがんばっておられます。

「楽焼の和楽」は、経歴が示す通り、楽吉左衛門家や、その傍流の窯元ではありませんので、作品のお値段も、比較的に庶民的なものとなっています。

 祇園八坂神社門前の和楽窯

★ 陶工プロフィール ★

 7代 川嵜和楽 (川崎和楽)

昭和11年  六世和楽の長男として生まれる。
昭和31年  京都府陶工訓練所卒業後、楽焼全般にわたり父、信蔵に師事する。
昭和45年  窯元「和楽」の七世を襲名する。

                                               (記 : 2014年6月19日)

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