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玉井楽山作・楽山焼の盃

三代目玉井楽山作・楽山焼(らくざんやき)の天神蟹盃です。

















大きさは、径:6cm、高さ:2.3cmほどの小さな盃で、共箱付きです。

状態は、とても良くて、楽山焼、独特の天神蟹(てんじんかに)の彫り込みも見事です。時代は、若く見えますので、1990年にお亡くなりになった、3代玉井楽山さんの作品だと思います。

天神蟹の作品は、コレクターも多く、人気があって、中々、ぐい呑みが市場に出てこなかったのですが、ようやくゲットできて、喜んでいます。

★ 楽山焼 ★ (注:楽山焼は、島根県松江市にもあります。「長岡空権作・楽山焼のぐい呑み」参照)

楽山焼(らくざんやき)は、愛媛県松山市で、焼かれていた陶器です。延宝6年(1678年)に、陶工の倉崎権兵衛が、二代目松山藩主松平綱隆の命により窯場を開いたのが始まりと言われています。

三代目藩主であった松平定長が、「あな寒し かくれ家いそげ 霜の蟹」と興じたことに甚く感銘を受けた権兵衛が、それに因んで蟹の紋様を入れるようになったといわれています。

松山藩のお庭焼だった楽山焼は、廃藩置県後、民窯になり、1990年に亡くなられた3代目玉井楽山さんまで、継承されていましたが、現在は、後継者がいなくなっている模様です。

楽山焼は、ぐいのみ、茶碗、花瓶など、いずれにも、天神蟹の彫刻がほどこしてある のが、最大の特徴であり、激流に棲む天神蟹の勇壮さが引き立ちます。

愛媛県松山市には、他に、水月焼でも、同様に天神蟹の紋様が使われ、愛媛県四国中央市の二六焼でも、天神蟹をモチーフにした作品が多く作られています。(水月焼は、「水月焼の椿之図湯呑」参照)

尚、この天神蟹ですが、正しくは、「アカテガニ」(赤手蟹)と言いますが、愛媛地方では、天神蟹と呼んでいます。

天神蟹 アカケガニ

★ 三代目 玉井楽山 ★

三代目玉井楽山(本名:玉井顕文)さんは、1924年に松山市に生まれ、京都美術工芸学校を卒業後、伊藤翠壷に師事し、京都.にて作陶されていました。その後、楽山焼三代目を継承の傍ら、日展などの展.覧会にも出展され、入選を重ねられていましたが、1990年に逝去されています。

                                               (記 : 2014年8月26日)

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