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南汎(みなみ ぼん)作、舞子焼(まいこやき)の鉄絵ぐい呑みです。 大きさは、径:5cm、高さ:3.5cm程で、共箱、栞付きです。 ちょっと粟田焼風の、滲んだ鉄絵がアクセントになり、木灰釉が掛けられています。(「粟田焼の建水」参照) 私のぐい呑みコレクションに、また1つ逸品が加わったことをうれしく思っています。 ★ 舞子焼とは ★ 舞子焼(まいこやき)は、兵庫県神戸市で焼かれている焼き物で、その起源は、江戸時代に遡り、1770(明和7)年頃、現在の神出町北古で、「唐官」と称する者が、「舞子焼」の銘の入った陶器を作っていたことがわかっています。 寛政2年(1790)頃には、明石郡山田村で、衣笠惣兵衛が、京都粟田焼風の陶器を作り、舞子の浜で売るようになり、その息子の百太郎に引き継がれました。 天保年間(1845)頃には、高田槌之助が、山田村に窯を興し、「まひこ」、「舞子」の印のある焼き物を焼いています。死後は、息子が継承し、素朴ですが、風雅さのある舞子焼は、多くの茶人に愛されましたが、1925(大正14)年に廃業となっています。 舞子焼は、木灰釉を用い、鉄分の染みが各所に出た釉地に、イッチンで海浜風景を描いたものや人物、植物などの形を模したものが多いのが、特徴です。 イッチンでの花紋 陶印は、小判形に、「まひこ」「舞子」「和風軒」「東陶軒」、他に「方円」「市平」「宗平」の印や、菊水文の印があります。 「まひこ」、「和風軒」印 戦後になって、1972(昭和47)年、南汎(みなみ ばん)氏が、神戸市垂水区に、末汎窯を築窯し、舞子焼再興に研究を重ね、1976(昭和51)年、神出町に、旧舞子焼登り窯を再現築窯し、再興舞子焼として、焼き始めました。 その後、南汎さんは、舞子焼に新しい趣向を加え、独創的な焼物として完成させ、後に、この焼き物を、神戸焼と名称を改めています。 現在は、南 和恵さんが、窯を継承しているようです。 ★ 作家プロフィール ★ 南汎(みなみ ぼん)さんは、南画家から陶芸家に転身し、丹波立杭焼の大上亨氏に師事しました。 1972(昭和47)年に、築窯して、古舞子焼を研究した結果、再興に成功し、1976(昭和51)年に、現在の神出町に移って、再興舞子焼を焼き始めました。 その後、京都の粟田焼を習得し、丹波立杭焼や京焼、古舞子焼の要素を残しながら、南画家としての絵付けを加味し、舞子焼に、新しい趣向を加え、独創的な焼物を完成させました。これが現在の神戸焼となっています。 ★ 南画(なんが)とは ★ 南画(なんが)とは、南宗画(なんしゅうが)の略称で、中国の南宗画に由来します。日本においては、江戸中期以降、 南宗画の影響のもとに、祇園南海・ 柳雅園らに始まり、池大雅・与謝蕪村らが創意を加え、日本的に解釈した独自の様式を追求した新興の画派が生まれ、その画派が描いた作品のことをいいます。文人画ともいいます。 (記 : 2015年2月28日)
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