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備前焼の皿

2002年の備前焼祭りに出掛けた際に買った、備前焼き(びぜんやき)の牡丹餅様大皿です。







大きさは、24cm程の、備州窯の作品で、料理であれば、何を乗せても様になります。

備州窯は、昭和49年に人間国宝の故山本陶秀の発案で、長男雄一夫妻が開いた窯元です。初めの頃は、陶秀門下の弟子養成所としての色彩が濃く、少人数の窯でしたが、年々の事業を発展させ32年を経た今日、社員30名余りを、かかえる窯元になっています。

最近は、登り窯で焼き上げることは、1年に、1〜2回しかしないそうですので、このお皿の力強さから判断すると、この皿も灯油窯で作られたのでしょうが、備前焼の風情は、充分に感じられます。

皿の中央には、3つの牡丹餅模様があり、窯変も、適当にあって、私のお気に入りの皿です。備前焼きは、
元々、生活雑器をメインに作っていましたから、皿や、とっくり、ぐい呑み等を、日常の生活で使うと、料理も
映えますし、お酒もおいしくなります。

備前焼の皿は、料理を盛り付ける前に、水に浸しておく と、景色が余計に映えますので、おすすめです。

このお皿は、24cmほどのお皿ですが、真ん中に、ちょこっと料理を盛っても、料理が引き立ちますし、豪快に、どっさり盛り付けても、備前焼の力強さで、皿が負けることはありません。


    備前焼の大皿に盛り付けた安物の刺身と、高橋楽斎作の信楽焼のぐい呑み

備前焼の大皿は、一家に1枚は、持っておくと、便利ですよ。

さて、備前焼(びぜんやき)は、岡山県備前市を中心とする地域で作られている焼き物ですが、特に、備前市
伊部地区で盛んであることから「伊部焼(いんべやき)」との別名も持ちます。同地区で数多く見られる煉瓦造りの四角い煙突は、備前焼の窯のものです。

備前焼は、平安時代に作られた須恵器から発展し、鎌倉時代初期には還元焔焼成による焼き締め陶が焼かれています。鎌倉時代後期には、酸化焔焼成による、現在の茶褐色の陶器が焼かれようになりました。
当時の主力は水瓶擂鉢など実用本位のものであり、「落としても壊れない」と評判が良かったようです。
この当時の作品は、「古備前」と呼ばれ珍重されています。

室町時代から桃山時代にかけて茶道の発展とともに茶陶としての人気が高まりましたが、江戸時代には茶道の衰退とともに衰えました(安価で大量生産が可能な磁器の登場も原因)。そして、備前焼は、再び水瓶や擂鉢、酒徳利など実用品の生産に戻っていって、この当時のものは、近郷の旧家に、かなりの数が残されています。

明治・大正に入ってもその傾向は変わりませんでしたが、昭和に入り、金重陶陽らが、桃山陶への回帰を
はかり、芸術性を高めて人気を復興させました。陶陽はもちろんのこと、弟子達の中からも人間国宝
輩出し、備前焼の人気は、不動のものとなりました。

備前焼の特徴は、釉薬を一切使わず、「酸化焔焼成」によって、堅く締められた赤みの強い味わいや、
窯変」によって生み出され、一つとして同じ模様にはならないのが特徴です。現在は茶器・酒器・などが
多く生産されています。「使い込むほどに味が出る」と言われ、派手さはないが、飽きがこないのが特色です。

備前焼の魅力である茶褐色の地肌は、「田土(ひよせ)」と呼ばれる、たんぼの底(5m以上掘る場合もある)
から掘り起こした土と、山土・黒土を混ぜ合わせた鉄分を含む土で焼かれるからです。
土の配合にもある程度比率が存在しますが、各々の土を寝かす期間も存在し、出土する場所によっても、成分が違ってきます。よって、作るには熟練の技が問われてくることになります。
なお、金重陶陽は、10年寝かせた土を使っていたとされています。

 金重陶陽(勇)氏(1896年〜1967年)

                                             (追記 : 2010年3月14日)

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