旅するところ、焼き物・骨董あり!                                                                       <<<焼き物・骨董情報サイト>>>

トップへ  当サイトでは、筆者が、世界中を旅したところで集めた焼き物・骨董品を、
エピソードと共に、その起源や、特徴を、ご紹介しています。意外な場所に、
意外な、お宝があるものです。画像と共に、うんちくも、お楽しみください。 

珍品?鷹羽焼の水指

2009年3月、「高取焼きの水指」ということで、オークションに出品されていたものを落札しました。

しかし・・・・箱書きを見ると、「鷹○焼き」、銘は、「鷹山」となっており、あ・や・し・い・・・・(笑)
しかも、高取焼きとは、見た目も違うし・・・・・

色々と高取焼きを調べましたが、「鷹取焼き」となっているものはなく、水指の時代も何となく新しい感じでした。











そこで、色々と調べてみたのですが、山口県長府(現在下関市)の元御用窯の鷹羽焼きでは?と思うように
なりました。

まず、手掛かりとなったのは、「
六雁研究所」というブログで、その中に、御用窯の解説があり、下記のように
ありました。

鷹山窯(鷹羽焼) 〔豊浦郡長府鷹羽山〕
 天保期に、元義が肥前国の陶工鳴瀬常信を招き築窯した。銘款は「鷹山」である。

うむむむむ・・・・・確かに、箱書きの銘は、「鷹山」である・・・・・・



次に、長府藩の「
長府毛利藩主略歴」によると、11代藩主毛利元義(もとよし)1785ー1842の略歴に

「平戸から陶工鳴瀬幸兵衛を迎えて前田の鷹羽山に窯を開かせ、文政7年(1824)には勝山の砂子多川河湖畔で平安期をしのんで華やかに「曲水の宴」を催した。」

とあります。

その後、廃窯していますので、もしかしたら、お宝では・・・・???

しかも、お譲りいただいたのが、北九州市にお住まいの方で、「おばあちゃんからの頂き物ですが、私は、茶道をしないので、出品しました。」とあります。

うんうん、何となく、お宝の可能性が・・・・・(笑)

しかし、腑に落ちないのが、箱も、水指も、時代が新しいように見えることです。箱と中身が違うことは、結構あることですから、そうかもしれませんが、箱まで、そんなに古く見えないので、ちょっと違和感があります。

もしも、御用窯のものでしたら、180年くらいは、経っていることになります。それにしては、新しい感じです。

?????

そこで、もっと調べたら、佐藤鷹山(さとうようざん)(本名:佐藤英利)という彫刻家が、何故か、窯名:鷹羽焼
となっているのを、見つけました。佐藤鷹山は、1921年(大正10年)生まれで、87歳です。(「
アルティス」より)

この人の作品であれば、時代も合うし、納得出来ますね。でも、それ以上の素性が、全くわかりません。彫刻家なのに、焼き物を焼いていたのか? どこに窯を持っていたのか?等々です。

このオークションで落とした水指、果たして素性は、どうだったのか?楽しい素性探しは、続きます。(笑)

                                              (記 : 2009年3月9日) 

追記 1:

出品者に、おばあちゃんの入手の経緯がわかれば、教えて欲しいと連絡したところ、次のような返答が帰ってきました。

「さて、ご質問の入手経路ですが、約40年ほど前、当時私は高校生で、祖母はかなり手広く裏千家教授として
やっておりました。お茶会もしばしばいろいろなところで開催しており、茶器を求めて、いろいろな窯元へ行っていたようです。その後私はお茶と縁をなくしてしまい、残念ながらくわしい事は聞かずじまいです。申し訳ありません。お答え出来なくて、なにせ箱書きもはずかしながら、ほとんど読めませんでした。」

というお答えをいただきました。

このことから、入手されたのは、40年以上前のことのようです。しかも、おばあちゃんは、茶道については、かなりの「」だったようですので、長府御用窯の鷹羽焼きの可能性も残っています。

さらに、私の素性調査では、佐藤鷹山さんの上野焼きの窯元説も出てきました。

かつてのヤフーオークションに、「上野焼、佐藤鷹山作の茶碗」が出品されていたようだからです。

こちらも、福岡県の窯元ですから、北九州市と地理的には、近いので、有力です。上野焼きかどうか?上野焼協同組合に問い合わせをしてみましたので、回答がどのようなものになるか?楽しみに待っていたいと、思っています。
                                               (記 : 2009年3月10日)
追記 2:

上野焼協同組合から、問い合わせの返答が来ました。

『お問い合わせの「佐藤鷹山」さんはあいにくですが上野焼の作家にはいません。佐藤姓を名乗る窯元も存在しません。』

とのことです。

オークションの表題は、間違っていることも多いので、注意が必要ですが、(この水指も、「高取焼き」となって
いたし・・・)上野焼窯元説は、どうやら、間違いであることが確定したようです。

                                               (記 : 2009年3月11日)

追記 3:

グーグルの検索で、鷹羽焼きに関連する記事のあるホームページを、発見しました。(
当該HP参照

戸田焼き(とへやき)に関するホームページですが、戸田焼きは、山口県徳山市の焼き物ですので、長府
も近いし、関連はないのかな?と思い、調べてみました。

その中で、昭和29年4月に行われた「山口県の陶磁器展」に出品されていたものに、

『やきもの集成』にはなく「山口県の陶磁器展」の『手引』に解説のみあるもの=・「鷹羽焼」←[民間0/1]

とあり、この陶磁器展の手引きに、解説があったことが、伺えました。(
当該URL参照

また、戸田焼きは、磁器窯のようですが、その中に、「墓地用花立て」が紹介されていましたが、その風情は、私の鷹羽焼きと似ています。同様の手法が、山口県には、存在したとみて良いのではないでしょうか?



茶色の釉薬が、垂れている部分は、何となく、私の水指の模様に似ています。

何となく、「山口県で焼かれたもの」というのは、有力になってきたような気がします。とは言え、確信的にこの水指の素性を見つけたわけでは、ありませんので、これからも、素性調査は、していきたいと思っています。

                                               (記 : 2009年3月21日)

追記 4:

素性調査をしてくると、北九州から、長府、徳山と、どんどん東へ向かっていますが、またしても、東に関する
ことを発見しました。

この水指が、「鷹羽焼き」であることは、陶印でも、わかります。



そして、は、「鷹山」で、作者が「鷹山」であることも、この印でわかります。



では、どこの窯で焼いたものなのか? 今まで、気がつかなかったのですが、箱書きの上の方に印が打って
あったのは、どうも、家紋のようで、「丸に違鷹羽」という、お隣の芸州広島の浅野家の家紋であることが
わかってきました。



この家紋が、何を表すのか?

焼き物、共箱も、それ程の時代を感じさせるものではないので、そう古いものではないような気がするのですが、素性が、全く、わからなくなってきました。

ここまで、凝って、贋作を作る意味はありませんし、うむむむむ・・・・・・・益々、私の手に入れた謎の水指に
思いを巡らせています。

                                              (記 : 2009年4月23日)

追記 5:

オークションで、地元の窯元の作品を当たっていたら、偶然、この水指に繋がる有力な資料を見つけました。

オークションで、出品されていたのは、下関の和銅窯の掛け花入れでした。



お品には、特に、魅力を感じなかったのですが、栞の中に、この水指の素性に関することを見つけることが
出来ました。



現在の和銅窯は、昭和37年に再興されたもののようですが、かつて廃窯した松風山焼鷹山焼の記述が
あります。

また、和銅焼を検索していたら、「
ひとりぽっちの徒然猫」というブログから、下記の和銅焼の栞を発見!、
ついに、鷹羽焼の文字を見つけました。



この栞によると、鷹羽焼は、幕末から、明治中期まで、存続したことになります。

この鷹羽焼を買ったおばあちゃんは、北九州市にお住まいでしたので、下関・長府が、地理的にも近いし、
かなり、有力な要素になるのではないか?と思います。

上記2つの和銅窯の栞でも、鷹羽焼鷹山焼の記述が、合致していない部分は、ありますが、この水指は、
和銅窯の前身の窯のものであることは、かなりの信頼性があるのではないか?と思います。

恐らく、鷹羽焼、作者:鷹山 という時代が、明治にあったのではないでしょうか?
又は、和銅窯が、再興した際に、当初は、「鷹羽焼」としていたのではないでしょうか?

この辺が、この水指の素性である可能性が、現時点では、最も高いのでは?と思っています。
                                            (記 : 2009年10月11日)

追記 6:

2009年10月25日に、下関の和銅窯を訪れました。残念ながら、座禅をしておられる最中だったのか?
販売展示室は、閉まっており、お品を買うことも、上記の素性の事情を聞くことも出来ませんでした。



潜り戸を抜けると、工房があり、今は、あまり使用されていないような感じの、登り窯も、ありました。



また、上の壷は、境内にあった、高さ1.2M程の大壷で、鷹羽焼なのでは?と思われます。
                                            (追記 : 2009年10月30日)

追記 7:

福岡県朝倉郡小石原に、鷹羽焼(たかのはやき)が、存在することを発見しました。また、過去のオークションでも、鷹羽焼、佐藤鷹山作のお品が出品されています。

入手した方が、福岡県にお住まいだったことや、お品が、そんなに古くはないと思われますので、どうやら、この水指は、小石原の土を使った焼き物で、鷹羽焼と称するものとするのが、最も、合理的ではないか?という結論に達しました。

色々と、回り道をしましたが、日本には、小さな窯場も、多く存在していますので、こんな素性調査で、楽しめることも、また、おつだなと感じた次第です。
                                            (追記 : 2010年9月11日)

Copyright (C) ともさんの焼き物・骨董紀行  All Rights Reserved 
















inserted by FC2 system