市野丹泉
(丹泉窯、市野清治)作の、丹波焼きの鉄釉抹茶碗です。
丹波焼(たんばやき)は、兵庫県今田町(現篠山市)における伝統産業で、今田町上立杭、下立杭地区で、多く焼かれていたことから、丹波立杭焼(たんばたちくいやき)とも呼ばれ、瀬戸、常滑(とこなめ)、信楽(しがらき)、備前、越前とともに、日本六古窯の一つに数えられています。
その発祥は、平安時代末期から鎌倉時代のはじめといわれています。桃山時代までは「穴窯」が使用されていましたが、慶長16年(1611)ごろ朝鮮式半地上の「登り窯」が導入され、同時期に取り入れられた蹴りロクロ(日本では珍しい立杭独特の左回転ロクロ)とともに、伝統技術を今日に受け継いでいます。
丹波焼は、一貫して日用雑器を主体に今日まで焼き続けており、灰釉や鉄釉などによる素朴で飾り気がなく、野趣味たっぷりな湯呑・皿・鉢・徳利・ぐい呑・壺・花瓶など「生活用器」の生産を身上としています。
丹波焼は、燃料である松薪の灰が器の上に降りかかり、釉薬と融け合って窯変し、「灰被り(はいかぶり)」と呼ばれる魅力的な色や模様が一品づつ異なって表れ、丹波焼の大きな特徴となっていますが、江戸時代の初期に、赤土部釉、灰ダラ釉が開発され、江戸時代後期には、白釉にイッチン描きをした、白丹波
が、開発され、現在の丹波焼のベースとなっています。
また、江戸時代には、地元の山椒を将軍に献上する際に、焼かれた「朝倉山椒壺」が、茶人の趣味にあって、水指として、珍重され、丹波焼を有名にしています。(「朝倉山椒壺の話
」参照)
上の登り窯は、丹波焼きで有名な陶の郷・立杭の山の斜面に築かれたもので、全長47メートルあり、1895年(明治28年)に作られたものです。現存する登り窯としては立杭最古の登り窯で、蛇窯とも呼ばれています。
この茶碗も、野趣あふれる作品で、上品さ?と言えば、あまり感じられないかもしれませんが、丹波焼きらしい、素朴さに満ちた作品ではないか?と思っています。
陶印も、ちょっとお茶目な感じの陶印ですし、個性があっていいのでは?と思っています。
市野清治さん
末永く、大切にしたいと考えています。
■作家紹介
丹泉窯 市野
清治(いちの
きよはる)
1957年2月2日、兵庫県生まれ
兵庫県美術家協会会員
日本工芸会正会員
兵庫県工芸美術展、全関西美術展、県展、田辺美術館茶の湯の造形展、日本工芸会近畿支部展、
日本伝統工芸展、第二回陶芸ビエンナーレ’91、など数々多数入選。
嵯峨大覚寺第一回花の陶展奨励賞受賞。各地有名ギャラリー等で個展開催。
(記 : 2009年9月5日)
追記 1 :
市野清治さんの作品のいくつかをご紹介します。
花瓶扇壺
窯元風景
徳利 ぐい呑み
(追記 : 2010年4月3日)
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