旅するところ、焼き物・骨董あり! <<<焼き物・骨董情報サイト>>>
三代目川原陶斎(川原六一)作、宮島焼(御砂焼)の平茶碗です。 地元(広島)の焼き物ということで、購入しました。 枇杷色の肌に、白釉頽れが美しい平茶碗で、川原陶斎 さんの力作の1つと思います。陶印も、普段の印盤を使ったものではなく、掻き陶印としていることからも、力作であることが窺えます。 宮島焼は、日本三景の宮島への渡り口の、宮島口に窯元が、3軒あり、いずれも、歩いていける範囲に集まっていますので、3軒とも、訪れるのも良いでしょう。 宮島焼の多くは、宮島観光に訪れた方々が、お土産に買って行かれていますが、かつては、有名な「あなごめし」の容器も、生産していました。 現在、川原陶斎窯の3代川原陶斎(販売:川原厳栄堂)、2代山根興哉(山根対厳堂)、川原圭斎窯の川原圭斎(川原浩二)さんが、宮島焼の窯元として、活動されています。 川原陶斎窯 : 2009年で創業100年。広島県伝統的工芸品に指定されている「宮島焼」の御用窯。 山根対厳堂 : 厳島神社の御用窯でもあり、厳島神社の本殿下の海砂を折祷してもらったものを混ぜた 御砂焼を作っている。 川原圭斎窯 : 灰釉を主体とした堅実な作風で様々な作品を作っている。 この茶碗は、川原陶斎さんの作品で、萩焼に似た感じのもので、大きさは、口径16cm 高さ 6cm程で、 大変、上品に仕上がっています。 三代 川原陶斎さん ここで、宮島焼の歴史について、少しまとめておきましょう。 江戸の天明寛政(西暦1781年〜1801年)のころ、賀茂郡の人がお砂守を拝受して旅行し無事帰宅を果たしました。彼は村に帰ってから、「お砂守」の砂に「お砂もどし」の砂を加えて幾つかの土器を作り、厳島参拝の際に神に供え、「お砂もどし」の古式に代えました。これが、お砂焼の始まりであろうとされています。 その後は、廃興を繰り返しており、現在の宮島焼の基礎が固められたのは、明治25年小林氏によって 再興された時であると思われます。 厳島神社苑にちなみ、神砂焼・お砂焼・厳島焼の古名も残っています。その後は細々とではありますが、息を繋いでいる状態でした。そして明治42年京都で修行した初代川原陶斎氏が、現在地に築窯しました。 また、初代山根興哉氏は少年のころ京都に上り、後に京焼最高峰の窯元である宝山に抜擢されましたが、宮島焼の確固たる再興を念じ、広島の郷土に帰り、大正元年に築窯しました。在来の技法に京焼、萩焼の伝統を加え、さらに創意工夫を凝らして、新生「宮島焼」を再興しました。 宮島焼の特徴は、上記の歴史が語るように、京焼きを基本としていますが、作品の多くは、萩焼に似ています。お土産用には、もみじをあしらったものが多いようです。 川原陶斎窯 川原厳栄堂 (記 : 2009年10月6日) 追記 1 : 三代川原陶斎作、宮島焼のぐい呑みです。 大きさは、直径約64mm 高さ約46mmほどで、共箱、共布、栞付きです。 2010年の正月に、宮島焼の3軒の窯元、すべてを訪れたのですが、すでに、上記の茶碗を買っていた為に、ぐい呑みは、買わなかったのですが、ぐい呑みコレクターになろうかな?なんて思い、手頃な値段でしたので、購入しました。(笑) 地元の焼き物ですし、典型的な宮島焼で、上物だと思いますので、大切にしたいと思っています。 (追記 : 2010年7月1日)
Copyright (C) ともさんの焼き物・骨董紀行 All Rights Reserved