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肥後高田(こうだ)焼(八代窯) 第1家10世、山下唯彦氏(酒井雅女氏のお父さん)作の青磁象嵌盃です。 肥後高田焼は、熊本県八代市で焼かれている焼き物で、白土象嵌から彩色象嵌の作風を開花した格調高い400年に亘る歴史のある陶器です。 文禄の頃に加藤清正氏に従った尊階が、韓国釜山海城より来朝、唐津で修行し、その後、細川氏に招かれ、豊前上野(福岡県の東南端)に開窯。その後 寛永9年、細川忠利氏移封に従い、上野焼の上野喜蔵親子を連れて、八代高田村(熊本県八代市)に開窯しました。正徳年間(1711〜16)に、独特の釉・象嵌を案出し、陶法を一変させ、 今に続いています。 その特徴は、肥後高田焼象嵌技法で、象嵌は 半乾きの素地に竹べらもしくは押印によって模様をほり込み、その凹部に長石を繰り返し埋め込むもので、手数が掛かりごく、少量しか出来ませんが、出来上がりは極めて高雅上品な作品です。 象嵌は、化粧土で白くする三島唐津等がありますが、長石を埋め込む方法は、釉象嵌の一種ですね。 4百年の伝統と歴史のある高田焼も、幾度となく浮沈がありました。近代でも、幕末から明治中期の動乱の時代に、一時、煙が途絶えかけたのを、弟子の吉原二分造の努力によって、受け継がれてきました。 二分造は、明治9年(1876)「高田焼八世吉原二分造」の称号を、細川護久公より賜り、伝授され、東京博覧会や世界博覧会で優名等賞など、数々の受賞に輝き、名陶工として称賛されました。この時点で、高田焼は直系の上野窯(あがのかま)と、八代窯の2派に分かれています。 明治21 年(1888)吉原安太郎が、高田焼九世となりましたが、早世したため、二分造は、昭和7 年(1932)、山下唯彦 (雅女の父)に伝授、唯彦は、高田焼十世を承継しました。 昭和40 年酒井雅女 は、山下唯彦の長女として、高田焼十一世を伝授され、女陶工としての気品と華やかさ、伝統様式にとらわれない現代の気風を、新開してきました。 現在、窯元は、第1家が、8代から二派に別れており(第2家、第3家は、明治期に廃窯)、直系の11代上野才助氏の方(上野窯)と、11世酒井雅女氏の方(八代窯)へとなっています。 【八代窯】 【上野窯】 山下唯彦(10世) 上野平 (10代) ↓ ↓ 酒井雅女(11世) 上野才助(11代) 現在、活躍中の世代 ↓ ↓ 酒井駿 (12世) 上野浩之(12代) ↓ ↓ 酒井月山(13世) 上野浩平(13代) この作品は、小品ながら、伝統的な手法で作成され、山下唯彦氏の作品は、なかなか市場には出てこない ということでしたので、珍品ではないか?と思い、購入しました。娘さんの雅女さんも、がんばっておられ、息子、娘に、伝承されています。(サイズは、口径53mm X 高さ31mmです。) 秀吉の朝鮮出兵で、当時、高度な技術を持っていた李朝の陶工を、連れてくることにより、色々なところで、焼き物が、始まりましたが、この高田焼もその中の1つになりますね。 高田焼窯元(八代窯) 高田焼窯元(上野窯) 八代窯は、八代市上片町に、上野窯は、八代市日奈久東町にあります。 (記 : 2009年10月13日) 追記 : 酒井雅女(さかいがじょ)作・高田焼の一輪挿しです。 大きさは、最大径:14cm、高さ:24cmほどで、私の結婚祝いに、熊本の友達にいただいたものです。共箱もあったのだそうですが、紛失してしまったようです。 高田焼独特の、白化粧土による象嵌技法、青磁釉の貫入も特徴的で、良いものだと思います。 長く、その存在を知らなかったのですが、最近、実家に行った際に、山小屋に持って行っていたものを、持ち帰ったものに、この一輪挿しがあり、母が、これは、私の結婚祝いだったと話したので、お品を見て、すぐに、高田焼だと判断したということです。 何故、この一輪挿しが、母のものにあったのか?、私が、結婚して、すぐに海外赴任したので、お祝いの品々を見ることなく、慌ただしく、赴任したことに関係があるようです。 いずれにしても、30年ほど前の作品ということになりますね。 返す返すも、共箱を紛失しているのが残念ですが、お品は、大変良いものですので、大切にしたいと思っています。 (追記 : 2013年10月27日)
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