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高取焼・永満寺窯のぐい呑み

2009年10月に、高取焼(たかとりやき)の永満寺窯を訪れた際に購入した、清水築山作のぐい呑みです。



高取焼
は、元々、福岡県直方市にある鷹取山の麓にて焼かれており、朝鮮出兵の際に陶工、八山(八蔵重貞)を連れ帰って焼かせたのが始まりです。窯場には永満寺・宅間窯、内ヶ磯(うちがそ)窯、山田窯があり、これらを「古高取」と呼んでいます。

江戸時代には、黒田藩の御用窯として繁栄、元和年間には唐津からの陶工を招き、技術を向上させています。

そして寛永年間に入ると、二代目藩主黒田忠之は親交の深い小堀遠州と交流を深め、遠州好みの茶器を、多く焼かせました。それが縁で、遠州七窯の一つに数えられ、茶陶産地として名を高めることとなりました。

この頃の中心は、白旗山窯で、遠州好みの瀟洒な茶器は「遠州高取」と呼ばれました。その後は、小石原に移り(小石原高取)、より繊細な作品が多く焼かれました。以後は、福岡の大鋸谷に移転(御庭高取)、18世紀には、「東皿山」と「西皿山」に分けられ、細分化されていきました。

今日では、直方市と、東峰村小石原に、数カ所の窯元が残っており、洗練された器体に、光沢のある褐釉(ゆう)と白濁釉をかけ合わせた独自の作風も、再興されています。

現在の高取焼の窯元は、「直方の高取焼」の該当ページをご参照ください。

私が、直方市の永満寺窯を訪れた際、どうせ買うなら、最も、高取焼らしいものと思い、幾つものぐい呑みの中から、褐釉に白濁釉を掛けた、このぐい呑みを選びました。









 陶印「高取」

さすがに、茶碗や、茶入れは、高価ですので、ぐい呑みが、分相応だったという事情もありましたが・・・(笑)



本当は、上の茶碗が、欲しかったのですが、ちょっと遠慮させていただきました。(笑)
                                              (記 : 2009年10月25日)

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