十三代玉泉作の、三川内焼(みかわちやき)(平戸焼)の変形白磁透彫香炉です。
変形白磁透彫香炉というだけあって、変わった形をしています。あまり見たことのない形でしたので、お箱がついていなかったのですが、確かなものだと思って、購入しました。大きさは、口径 7.5cm、高さ 13cm程で、一般的なサイズです。
玉泉窯は、特に「白磁透し彫り」という技術において他の追従を許さない窯で、現在の14代福本正則(長崎県無形文化財)に至るまで、先人から厳しく受け継がれてきた技術によってできあがる作品は、まさに「繊細優美」と表現するにふさわしいものです。
この香炉には、「十三代玉泉作」と、銘が入っていますので、先代のものですね。
現在、玉泉窯は、当代の福本正則さんと、奥様の豊子さん(伝統工芸士)で守っておられますが、後継者がなく、福本正則さんも、ご高齢で、引退されたとのことです。この高度な透かし彫りの技術が、伝承されないのは、誠に、悲しいことですね。
【作家 プロフィール】
十三代福本玉泉(数市)
明治41年、三川内に生まれる。
幼少の頃から、白磁、青磁の技術を祖父久市から学ぶ。
昭和50年 佐世保市無形文化財保持者となる。
玉泉窯
14代福本玉泉(正則)さん
三川内焼(みかわちやき)は、平戸焼とも呼ばれ、長崎県佐世保市三川内町で焼かれている陶磁器で、その始まりは安土桃山時代に時の将軍豊臣秀吉の朝鮮出兵においてすぐれた陶工を日本に連れて帰り、日本で窯を開かせたのが始まりとされています。
三川内焼の特徴の一つに、その透き通るまでの白さがありますが、当初は良い材料が平戸島内で見つからず、様々な場所を回り探し求め、それら陶工たちが最後に行き着いた場所が三川内だったとのことです。
1670年代に、当時は砥石として天草より移入されていた白い石を発見し、試し焼きしたところ、優秀な陶石であることがわかり、その後、天草陶石と網代陶石の調合によって、純白の白磁を完成させるに至り、現在の三川内焼の根源たる基礎を築き上げることになります。
その後、明治に入り、一時は閉鎖寸前にまで追い詰められますが、豊島政治という人が再建に乗り出し、販路を広げ、技術を習得させる学校まで開いたことにより、見事に立ち直り現在に至っているのです。
現在、14の窯元(広義では38窯元)があり、江戸時代、平戸藩御用窯の指定図柄とされ、三川内山以外の窯では焼くことができなかった「唐子絵」や、飾り香炉などの美術品を繊細な彫刻で仕上げる「透かし彫り
」の伝統を、引き継いでいます。
唐子模様の大皿
透かし彫りの香炉
「献上唐子」は、 7人唐子は天皇や将軍への献上品 5人唐子は諸大名への贈答用 3人唐子は一般武士と区別されていたそうです。
玉泉窯を、訪れた方のブログからですが、
皇室への献上品だそうですが、この値段ですから・・・・(唖然)
三川内陶器市が、毎年10月初旬に三川内焼伝統産業会館前の広場で行われるようですので、機会があったら、一度、訪れてみたいと思っています。
(記 : 2009年11月10日) |