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エピソードと共に、その起源や、特徴を、ご紹介しています。意外な場所に、
意外な、お宝があるものです。画像と共に、うんちくも、お楽しみください。 

相馬駒焼の花差し 

相馬駒焼(そうまこまやき)の、花差しを手に入れました。

 

箱書きから、「元祖相馬駒焼」、「捨○代田代清治右衛門」と読め、印も、「法橋」とありますから、
本物の相馬駒焼には、違いないと思うのですが、14代のものか?15代のものか?は、不明です。

ただ、筆跡は、15代のものではないような気がしますし、「元祖」としているところが、14代のものではないか?
と思わせるのですが、時代は、そんなに古くはなさそうなので、15代の初期のものかな?とも思っています。
また、14代までは、14世と、箱書きしているものが多いようですので、15代のものか?とも思っています。



陶印は、相馬駒焼の「田代」と、「法橋」とありますので、お約束通りですね。



サイズは、19cmx12.3x12.3cmで、 洗練されたデザインです。相馬駒焼は、なんといっても相馬藩の
トレードマークでもある家紋の「走り駒」(駒絵)が描かれ、砂を含めた粘土で焼く卵黄色の「黄瀬戸」と、
青磁釉で焼いた「青ひび焼」の2種類がありますが、これは、「黄瀬戸」の方ですね。

現在、窯を守っているのは、十五代の当主の田代清治右衛門さん(本名:秀人)と、長男の土師命(はじめ)
さんでしたが、土師命さんは、最近、亡くなられたようです。

 十五代田代清治右衛門さん

相馬駒焼は、寛永6年(1626)、野々村仁清のもとで修行したといわれる、初代田代清治右衛門によって
開窯された古窯で、現在唯一の窯として、福島県相馬市の田代窯が、伝統を引き継いでいます。

相馬駒焼のトレードマークの「走り駒」ですが、32筆で描くことが、決められているそうで、伝統を守っている
のですね。

相馬駒焼は、明治維新までは一般には、禁制品でした。一般に出始めたのは、13代のもの辺りからでは
ないかと思われます。また、登窯は県の重要有形民族文化財になっていますが、開窯から360年経った現在、
街の発展で田代窯は中心街の一画になり、最近は、公害の問題で、火を入れることが少なくなり、ガス窯
などを活用しているそうです。

 田代窯の登り窯
                                               (記 : 2009年11月26日)

追記 1:

上記の時点では、第14世のものか?第15世のものか?不明としていましたが、最近のオークションで、
下の第15世 田代清治右衛門の真作保障の相馬駒焼の茶碗を見つけ、その箱書きから、私の花差しが、
第15世 田代清治右衛門のものであることが、判明しました。

  

右の箱書きが、私の花差しのものですが、茶碗の方は、「捨五世」、私の花差しは、「捨五代」となっています。

                                             (追記 : 2009年12月13日)

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