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丸太宣政作・黒牟田焼の鉢

黒牟田焼(くろむたやき)の丸田宣政窯丸田宣政作の辰砂釉・緑釉掛け分けのです。





黒牟田焼は、佐賀県武雄市で焼かれている焼き物で、小鹿田焼と同じ民陶で、肥前一円の庶民の日常雑器すべてを作陶していたそうです。

聞いたこともない焼き物でしたが、以前に無名窯の鉢を買ったことがあり、武雄市で、幾つかの窯元があることは、知っていました。(「福田忠夫作・灰釉掛分・鉢」参照)

その中に、420年の伝統を守っている窯元があり、それが、黒牟田焼とは、知りませんでした。

このは、径20.4cm・高さ7.2cm・高台径9.2cm程度の大きさのもので、共箱付きです。見込みを白地で大きく取ってあるので、料理を盛ると映えそうな器です。

丸田宣政窯の得意とする、鉄釉と緑釉の掛け分けの作品でしっかりしたものです。、







黒牟田焼は、明治時代、約40窯がありましたが、現在は、丸田宣政窯のわずか1軒だけとなりました。1960〜70年代には重要無形文化財保持者(人間国宝)の浜田庄司に学び「西の民芸を代表する作家の一人」と呼ばれた故丸田正美も活躍しました。しかし、2007年、その丸田正美が守った正美窯の後継者の息子さんが急死し、丸田宣政窯だけが焼成するようになったからです。

黒牟田焼の代表的なものが、黒釉や緑青釉をかけた「そろばん玉」の形をした土瓶です。幾何学的な形状に当時の作り手の造形力にうっとりします。今でこそニーズは減りましたが、後世に残しておきたい逸品の一つといえるでしょう。

また、私が、良くお邪魔する「武蔵野学院大学のやきもの美術館」で取上げられている黒牟田焼は、下のようなもので、私の陶鉢も、益子焼の浜田庄司や、バーナード・リーチの直接指導の影響を受けたもののようです。

  
                  丸田 宣政 作 黒牟田焼 茶壷

佐賀県武雄市には、黒牟田焼の他、幾つかの窯元があり、無名窯もそのひとつです。(「窯元一覧」参照)小石原焼のように、組合を作って、「武雄焼?」のようなブランドを作っても良いのでは?と思っています。

 丸田 宣政さん

 丸田宣政窯の作品

◆黒牟田焼の由来と伝統◆  (「丸田宣政窯ホームページ」参照)

日本の陶器史の中で黒牟田窯は、武雄唐津北部系に属している。黒牟田窯は現在、佐賀県武雄市武内町にり、この一帯には30近くの窯跡が点在し、 一大群窯の姿を今にとどめている。黒牟田窯は、桃山末期の慶長、元和の頃(約420年前)に朝鮮の陶工宗伝と共に帰化した群団陶工の開窯によるも のである。開陶以来、窯の焔は燃え続け肥前一円の庶民の日常の雑器のすべての種類を焼成してきたのである。したがって黒牟田窯の製品は日常の生 活用品をはじめ、宗教用具に至る範囲にわたり、その規模は実に雄大であったことが、数々の伝世品、発掘品をとおして伺われるのである。
 
黒牟田窯の伝統陶技は従来の古唐津の北部朝鮮陶技の中に、李朝中期の作調、文様が表現され、主に往時の肥前の土着民の生活感情が流れている。 黒牟田窯の製品の特長は素朴な親しみ易い意匠形状と釉調にあるといえよう。殊に黒釉薬、緑釉薬の味わいと大胆な刷毛目の細線は端的に黒牟田窯の個性美を表している。いまなお、生産されている「そろばん玉型の黒土瓶」「笹絵徳利」「油壷」「刷毛目皿」などは実によく黒牟田窯の特長をとどめている。

  

  

                    丸田宣政窯 黒牟田焼の作品
                                              (記 : 2010年1月10日)

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