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エピソードと共に、その起源や、特徴を、ご紹介しています。意外な場所に、
意外な、お宝があるものです。画像と共に、うんちくも、お楽しみください。 

深見陶治作・青白磁のぐい呑み 

京焼の人気作家、深見陶治(ぶかみすえはる)作の青白磁・ぐい呑みです。











  

砧青磁の名品「馬蝗絆」に近い青白磁を再現させようと、色々な人々が、挑戦していますが、現在、京焼の
深見陶治(ふかみ すえはる)氏の青白磁が、それに、最も近づけていると評判のものです。

深見陶治さんは、1947年生まれで、京焼の窯元に生まれ、20歳の時に、日展に入選し、その作品は、中国宗代の青白磁を原点として、現代を生きる人間の感性を追及され、深見氏の抽象表現は、青白磁のもつ
深遠な色合いとシンプルでシャープなフォルムとの融合によって、ある種のさわやかさと叙情性を見る者に与えてくれています。

作品には、オブジェ系のものが多いのですが、器物もあり、ぐい呑みや、香炉を見掛けることが出来ます。

 青白磁 『感』

このぐい呑みは、サイズ円径75mmx高さ25mmで、深見氏独特のシャープな造形が見られませんので、比較的に、初期のものではないか?と思っています。

最近のものは、同じぐい呑みでも、少し、造形を入れているものが多いようです。

 新作 「澄」

私は、青磁はあまり好きな方ではないのですが、この馬蝗絆は、別格で、この深い色は、どうして出てくるのだろう?と、いつも思っていました。

最近になって、深見陶治さんの青白磁の色合いが、砧青磁に近いのでは?と思い、本物を見てみたくなり、ようやくゲットすることが出来ました。

尚、ぐい呑み等は、ネットショップでも、取り扱っており、黒田陶苑などで買うことも出来ます。(当該ページ参照)



概ね、どこのネットショップも、4万5千円(税抜き)で売っているようですので、定価があるのかもしれませんね。

ここで、砧青磁の銘「馬蝗絆」について、まとめておきたいと思います。(「アートギャラリー甲比丹」より引用)

時は平安末期 ( 12世紀後半 ) 、平重盛が中国 ( 南宋 ) 杭州・育王山の仏照禅師に黄金を寄付した際、
その返礼として贈られた品がこの青磁のお茶碗と伝えられています。 

いわゆる中国の南宋時代にその美しさが極められたと言われている龍泉窯の砧青磁、その名品のひとつが
中国から日本にやってきたわけです。

張りのある曲線を描いて立ち上がる姿の優美さ、わずかに緑をふくんだ青磁釉の美しさ、それは南宋時代 ( 12世紀 ) 砧 ( きぬた ) 青磁の名品だったのです。

その後、時代は流れ、室町幕府の第8代征夷大将軍、足利義政 ( 15世紀中旬頃 ) の時代に過って、この
お茶碗にひびを入れてしまい、当時の中国 ( 明時代 ) に送り、換わりのお茶碗を要求したらしいのですが、
これに代わる名品は作れないとして、当時の中国皇帝 ( 明王朝 ) は、お茶碗に鉄の鎹 ( かすがい ) で、修理を施して返送したとされています。

どうしてこのお茶碗が 「 馬蝗絆 ( ばこうはん ) 」 名付けられたのか。

馬蝗 ( ばこう ) とは馬の背中にとまった蝗 ( いなご ) であり、中国で鎹 ( かすがい ) の意味でも使われる
ため、このお茶碗の修理に使われた鎹 ( かすがい ) を背中に泊まったイナゴに見立てて、この銘がついた
のです。

室町期の唐物数寄の中でも特別に評判が高かったらしく、通常、漆を糊代わりにして修理するところを、わざ
わざ目立つ鎹を用いていることから、器の価値を誇示する目的もあったと推定されています。

時代が数百年進んだにも関わらす昔の名品を再現させることが出来ない、中国の青磁が最高レベルに達したのが南宋時代 ( 12〜13世紀 ) と言われる所以です。 安易に交換せず、わざと目立つ修理をして送り返し、さらに名前まで与えて作品を愛 ( め ) でる、、、、その後、このお茶碗は、三井財閥の三井高大氏の懐中へと嫁ぐことになり、三井氏から東京国立博物館へと寄贈され、現在も東博の所蔵品の名品のひとつとなっております。 12世紀から15世紀の時代を超えて繰り広げられた中国と日本の美意識の高さを示す歴史物語ですね


 馬蝗絆

■解説 (東京国立美術館HPより)

日本に伝わる青磁茶碗を代表する優品である。江戸時代の儒学者,伊藤東涯が記した『馬蝗絆茶甌記』によると,かつて室町時代の将軍足利義政がこの茶碗を所持していたおり,ひび割れが生じたため,代わるものを中国に求めたところ,明時代の中国にはもはやそのようなものはなく,鉄の鎹でひび割れを止めて送り返してきたという。この鎹を大きな蝗に見立てて,馬蝗絆と名づけられた。 

私たちが、子供の頃には、野山に(いなご)が、まだいましたが、最近では、見掛けることはなくなりましたので、今の人たちには、「いなごって何?」と聞かれそうですね。(笑)
                                               (記 : 2010年2月21日)

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