旅するところ、焼き物・骨董あり!                                                                       <<<焼き物・骨董情報サイト>>>

  当サイトでは、筆者が、世界中を旅したところで集めた焼き物・骨董品を、
エピソードと共に、その起源や、特徴を、ご紹介しています。意外な場所に、
意外な、お宝があるものです。画像と共に、うんちくも、お楽しみください。 

朝日焼のぐい呑み 

七十四代(第14世)松林豊斎作、朝日焼(あさひやき)のぐい呑みです。









大きさは、口径6.2cm、高さ4.5cmのぐい呑みですが、朝日焼は、茶陶が多く、ぐい呑みは、数が少ないので、手に入れることが出来て、ラッキーでした。見込みに、竜の模様があり、朝日焼、独特の鹿背(かせ)模様が現れていて、釉薬をつける時に、つまんだ指の跡も、窺えます。

箱書きに、「干支・辰」とありますから、1988年(昭和63年)前後の作品ではないか?と思われます。共箱、共布、栞付きで、しっかりとしたものです。

いつも、気になっていたのですが、松林豊斎の名前が、第14世となっていたり、第74代と箱書きがあったり、どうなっているんだろうと思っていましたが、第14世と、第74代は、一緒だそうで、日本書紀に遡って、言い伝えられたものが、第74代ということだそうです。(朝日焼の系図参照)

第14世豊斎は、1994年に、第15世豊斎(良周)に譲り、2004年に亡くなっています。(享年83歳)



朝日焼は、京都府宇治市で焼かれている、名所朝日山に名の由来をもつ陶器で、慶長(けいちょう)年間(1596〜1615)奥村次郎右衛門が、創始したとされています。正保(しょうほう)(1644〜48)ごろには、小堀遠州(えんしゅう)が、奥村藤作を指導して茶陶を焼かせ、遠州七窯(なながま)の一つとなっています。この時期の作を、古朝日と称し、御本(ごほん)(高麗茶碗(こうらいぢゃわん)の一種)風の茶碗を、主としている点が特徴です。慶安(けいあん)(1648〜52)ごろ一時廃絶し、1861年(文久1)に松林長兵衛(9世)が再興し、今日に及んでいます。 現在は、第15世豊斎さんが、息子さんの佑典さんと共に、窯を守っておられます。

 第15世松林豊斎さん

 朝日焼窯元


朝日焼の特徴は、原料の粘土に鉄分を含むため、焼成すると独特の赤い斑点が現れるのが最大の特徴です。そして、それぞれの特徴によって呼び名が決まっています。

鹿背(かせ)

鹿の背のような色柄の出た御本手です。
薄手で瀟洒なつくりが特徴です。
ことに鹿背は朝日焼独自の土と味わいを持っています。
燔師(はんし)

分かりやすく解釈すると、師匠が焼いた物という意味で、ほのぼのとした、ちょうど朝日の情景を思わせるような土味が特徴です。

紅鹿背(べにかせ)

鹿背の土が様々な表情を見せる中で、時折、紅色の発色のある格調ある土味が特徴です。




 






















私のぐい呑みは、白釉なだれの美しい、典型的な朝日焼のぐい呑みですので、大切に使わせていただきたいと思っています。
                                             (記 : 2010年3月20日)

Copyright (C) ともさんの焼き物・骨董紀行  All Rights Reserved 
















inserted by FC2 system