信楽焼の高橋楽斎窯作・ぐい呑みです。
ざっくりとした土肌が、赤褐色に焼き上がり、素地土に含まれている長石の粒が溶けて、表面にポツポツと、白く吹き出た味わいが、信楽らしいぐい呑みです。
ただ、ちょっと残念なのは、底の部分の焼き上がりが、ちょっと甘いかな?と思われます。
それと気になるのが、陶印で、高橋楽斎のものは、「ら」とする掻き陶印なのですが、こちらは、「楽斎」の印判押しです。
また、
四代高橋楽斎の作品とする下記のようなものが、オークションで出品されており、このぐい呑みも、私のものと同様のものだと思います。そして、これは、本人の作品ではなく、高橋楽斎窯としての商品ではないか?と思っています。(商品と作品の違いについては、「陶印(サイン)の謎」をご参照ください。)
堂々と、【本物保証】として出品されている、ぐい呑み
最近は、薪窯(穴窯、登り窯)と、電気窯での両方を使って、焼かれている信楽焼の窯元も増えており、私のぐい呑みも、電気窯での作品なのではないか?と思います。
薪窯であれば、火の通り道によって、確実に、表と裏が現れますし、高台部には、目跡があります。
しかも、楽斎さんの陶印は、力強い「ら」です。
楽斎さんの掻き陶印
私のぐい呑みや、上記のぐい呑みには、「楽斎」の印判が、押されていますし、火の入り方が、均一です。
楽斎窯は、いわゆる「黄瀬×赤松×登り窯」という、緋色信楽の王道を固定化させ、実行している窯ですが、最近では、公害問題で、登り窯の火入れも、難しくなっているとのことです。ある雑誌で、公害問題もあって、薪窯と電気窯の両方を使っている窯も多いというものを見ましたので、こういった考察になったわけです。
楽斎窯(登り窯)
お箱は、本物と同じものですので、高橋楽斎窯のものには、違いがありません。手頃な価格で提供できる商品として、作成されたのでは?と思っています。
私は、備前焼や、伊賀焼、信楽焼の焼き締めのぐい呑みが、好きなこともありますので、気楽に、このぐい呑みで、日本酒を楽しみたいと思っています。
備前焼の皿に盛った刺身と高橋楽斎作ぐい呑み
信楽焼(しらがらきやき)の名工の高橋楽斎について、まとめてみたいと思います。
信楽焼の二大巨匠
は、楽斎窯(三代高橋楽斎)と、直方窯(四代上田直方)と言われています。信楽の産業陶器全盛の時代にも、伝統的な焼物の美を追い求め、信楽に伝統の火を残してくれ、単に、伝統的なものを踏襲しただけでなく、各々独自の美意識をその作品に表わしています。その功績から、4代目上田直方氏、3代目高橋楽斎氏は県指定の無形文化財に初めて推挙されました。
四代高橋楽斎は、1925年(大正14年)に、三代高橋楽斎(1899年〜1976年)の長男として生まれ、父の三代楽斎の指導の下で、修行し、1976年(昭和51年)に、四代高橋楽斎を襲名して、現在に至っています。
現在、息子さんの高橋光三さんも、五代目を継ぐべく、楽斎窯で作陶をされています。
また、三代高橋楽斎の次男の、高橋春斎は、1927年(昭和2年)に生まれ、四代楽斎と共に、楽斎窯で修行し、その後、昭和43年に独立して、春斎窯を開窯しています。春斎さんは、県指定の無形文化財にも、指定されています。
大変、苦労して、やっと見つけた四代高橋楽斎さんの写真です。奥の壷は、400年前の古信楽だそうです。ネットで探しても、楽斎さんの写真がほとんどないのは、意外に、写真嫌いなのかな?(笑)
(記 : 2010年3月23日)
追記 1:
四代高橋楽斎作の、信楽四方皿を手に入れました。
陶印「ら」
火の通り方から、薪窯で焼いたことが伺えますし、陶印も、「ら」になっていますので、高橋楽斎の作品です。大きさは、高さ約5.7cm 縦横約18cm
で、ちょっと小さめの四方皿で、四方桟共箱付きです。
ちょっと自然に掛かったとは思えない、自然灰釉の景色ですが、信楽焼らしいお皿ですので、普段使いのお刺身皿として、使わせていただきたいと思っていますが、ちょっと贅沢かな?(笑)
これで、信楽焼のお皿は、2枚目ですが、趣があって、大好きです。(「信楽焼の鮎皿」参照)
(記 : 2010年8月9日)
追記 2:
4代高橋楽斎作、信楽ぐい呑みです。
大きさは、径6cm、高さ:4cmほどで、陶印「ら」が入っています。
土もののぐい呑みは、日本酒を冷やで飲むには最適ですので、普段使いように買いました。口辺にちょっとホツがありますが、気にしないことにします。
(追記 : 2014年9月23日)
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