小久慈焼(こくじやき)の小久慈焼陶芸苑製の酒盃です。
大きさは、高さが、34mm、口径が、87mmで、飴釉というよりも、黒釉に近い発色ですが、見込みには、微妙な文様が現れています。小久慈焼では、糠白釉と飴釉の使い方によって、糠白釉だけのシンプルなものや、糠白釉と飴釉の掛け別けたもの、飴釉だけのものがあり、これは、飴釉だけのものです。
窯変
この酒盃ですが、共箱は、なかったのですが、窯印から、小久慈焼
であることは、間違いないのですが、何と、21円で、オークションで落札したものです。これまでの、最低記録の80円を大きく下回っての落札に、びっくりしています。
(笑)
小久慈焼(こくじやき)は、岩手県久慈市で焼かれる陶器で、江戸後期(文政年間(1818〜1829年))に、初代熊谷甚右衛門が、相馬からの陶工、嘉蔵に師事したことから始まりました。後に甚右衛門は、師の技術を修得すると、地元の粘土を発見し、釉薬も独自の物を創出し、茶器なども作りました。一部には、八戸藩の御用窯であったとする記述もありますが、記録としては、残っていないので、注意が必要だそうです。
明治時代には柳宗悦にも認められましたが、次第に衰退しました。昭和28年に、久慈市の努力によって、細々と続けていた3窯を統合し、下嶽穀さんを代表にして、小久慈焼陶芸苑を設立、再興し、今日に至っています。
小久慈焼陶芸苑
小久慈焼の特徴は、糠白釉と飴釉の使い方で、糠白釉だけのシンプルなものや、糠白釉と飴釉の掛け別け、飴釉だけのものがあり、黒色から、茶色、白への微妙な色調を出す壷は、美術的にも、価値が高いものです。
小久慈焼の壷
小久慈焼の代表的な作品は、注ぎ口の長い片口です。これは、酒や醤油を口の小さな容器に移し替えるときに用いられます。他にも食器や日用雑器などを焼いていますが、糠白釉や飴釉、掛分釉だけを流し掛けただけの素朴な味わいが特色となっています。
注ぎ口の長い片口
お安く、手に入れた酒盃ですが、東北の焼き物は、珍しいので、大切にしたいと思っています。
(記 : 2010年5月17日)
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