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因久山焼のぐい呑み

因久山焼(いんきゅうざんやき)窯元、九代芦澤良憲作、藁灰釉ぐい呑みです。









 

大きさは、高さ 4.7cm、直径 6.7cm のぐい呑みで、共箱付きです。因久山焼は、藁灰釉、海鼠釉、辰砂釉等々を使った作品が多いのですが、 このぐい呑みには、自然貫入が入っており、中々の力作なのでは?と思っています。

因久山焼は、九代芦澤良憲さんが、息子の十代保憲さんと共に、代々続く、7室の窯を守られており、登り窯での焼成も、年に1度くらいは続けているそうです。

   本焼きの様子

因久山焼(いんきゅうざんやき)は、鳥取県八頭郡八頭町(旧・郡家町)にて焼かれる陶器です。

歴史は非常に古く、奈良時代から窯場が開かれていたと伝えられ、貞享5年、1688年(元禄元年)出版された、因幡民談記の当国郡郷土産物之事の中に久能寺焼として記載されていますので、今から三百二十年前には、確実に陶器を産出していたことになります。

名は窯元が置かれていた久能寺の山号である因久山に因み、池田藩より名を拝領したと言われ、江戸時代の明和年間(1764年〜1771年)に、京の陶工、六兵衛が、御室焼の技術を伝えたのが草創とされます。

以後は池田藩の御用窯として庇護され、発展を遂げました。寛政年間には、信楽から陶工を呼び、技術を採り入れています。現在は、窯元こそ一つしか残っていませんが、一度も廃窯することなく、連綿と技法が受け
継がれています。

因久山焼の特徴は、多彩な釉薬にあります。原料の粘土は鉄分を多く含むために、素地はくすんだ赤褐色気味ですが、藁灰釉、辰砂釉などを用いることにより、格調高い意匠となっています。特に、御室焼の流れを汲んでいるために、華道の花瓶や一輪挿しなどに名器が多いようです。


             江戸時代から続いている7室の登り窯

窯元は、八代までは、芦澤保親の名を継いでいましたが、九代から、現在の代表者の芦澤良憲さん、十代は、息子さんの保憲さんとなっています。 

因久山焼の陶印(銘款)については、大変詳しく調べてあるホームページがありますので、ご参照ください。
(「因久山の銘款」参照)

 【陶工 紹介】

 芦澤良憲 (あしざわ よしのり)

 昭和14年  八代保親の次男として出生
 昭和58年  九代良憲が継承
 昭和60年  鳥取県伝統工芸士に認定





                                              (記 : 2010年5月18日)

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